【 東京三十三所観世音 霊場案内 】
昭和七年四月












かつてはこのような案内資料も出ていた事から、震災供養のため霊場を巡拝していた時期があったのであろう。
当時は、1番・品川の海晏寺から始まり、33番・本所被服敞跡の萬骨観音堂 (今は横網町の東京都慰霊堂)
また、世話人や顧問の中で、時代的に
築比地仲助氏は労働歌の作詞家、坂戸公栄氏は「観音の宗教」の著作者、
清水谷恭順氏は浅草寺中興24世貫主と推測される。