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◆かつての札所17番・瑞松山 霊光寺は浄土宗の寺院で阿弥陀如来を安置する。現代的なビルの一角に寺院の屋根を付けた入口となっている。前の道向かいには、かつての6番・遍照院もある。道を西に進むと隅田川に架かる駒形橋も近い。 |
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朱印を追加 |
番 |
山号 |
寺院名 |
宗派 |
本尊 |
住 所 |
他の札所 |
1 |
月光山 |
薬王院 正福寺 |
真言宗智山派 |
薬師如来 |
墨田区墨田2-6-20 |
荒川66 |
2 |
日照山 |
源光院 普賢寺 |
〃 豊山派 |
〃 |
葛飾区東堀切3-9-3 |
荒川57 |
3 |
医王山 |
薬王院 極楽寺 |
〃 |
阿弥陀如来 |
〃 堀切2-25-21 |
東5,荒川64 |
4 |
延命山 |
栄寿院 |
曹洞宗 |
地蔵菩薩 |
足立区東伊興4-1-1 |
- |
5 |
隅田山 |
吉祥院 多聞寺 |
真言宗智山派 |
毘沙門天 |
墨田区墨田5-31-13 |
荒川65 |
6 |
鶴田山 |
真念寺 遍照院 |
〃 |
弘法大師 |
〃 吾妻橋1-3-5 |
- |
7 |
牛宝山 |
明王院 最勝寺 |
天台宗 |
釈迦・大日 |
江戸川区平井1-25-32 |
不動19,江戸五色不動 |
8 |
明王山 |
不動院 寳性寺 |
真言宗智山派 |
不動明王 |
葛飾区堀切4-54-2 |
荒川62 |
9 |
千葉山 |
薬師寺 西光院 |
新義真言宗 |
大日如来 |
足立区千住曙町27-1 |
荒川63 |
10 |
梅柳山 |
墨田院 木母寺 |
天台宗 |
五智・地蔵 |
墨田区堤通2-16-1 |
- |
11 |
宝珠山 |
理性院 如意輪寺 |
〃 |
如意輪観音 |
〃 吾妻橋1-22-14 |
- |
12 |
西方山 |
安養院 九品寺 |
真言宗豊山派 |
阿弥陀如来 |
葛飾区堀切6-22-16 |
荒川58 |
13 |
牛頭山 |
弘福寺 |
黄檗宗 |
釈迦如来 |
墨田区向島5-3-2 |
- |
14 |
渋江山 |
清重院 西光寺 |
真言宗豊山派 |
阿弥陀如来 |
葛飾区宝町2-1-1 |
- |
15 |
金剛山 |
宝蔵寺 |
〃 智山派 |
〃 |
墨田区八広6-9-17 |
荒川68 |
16 |
孤竹山 |
正覚寺 |
〃 |
薬師如来 |
〃 八広3-5-2 |
荒川69 |
17 |
瑞松山 |
栄隆院 霊光寺 |
浄土宗 |
阿弥陀如来 |
〃 吾妻橋1-9-11 |
- |
18 |
宝寿山 |
遍照院 長命寺 |
天台宗 |
〃 |
〃 向島5-4-4 |
東京32 |
19 |
清滝山 |
金長院 正王寺 |
真言宗豊山派 |
〃 |
葛飾区堀切5-29-14 |
東3,荒川59 |
20 |
榎木山 |
善福院 |
〃 智山派 |
聖観音 |
〃 四つ木3-4-29 |
荒川67 |
21 |
清滝山 |
蓮花寺 |
〃 |
弘法大師 |
墨田区東向島3-23-17 |
荒川70〜73 |
【 備 考 】 |
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◆写真左側は、16番の正覚寺と入り口付近にある弘法大師21ヵ所の道標。
この道標には、「二十一ヶ所弘法大師道標・明治43年3月」と記してある。
因みに、明治42年この一帯が大水に見舞われ大勢の被害者が出たそうで、これにより、荒川放水路が計画され作られたという。
◆写真右側は、この札所で唯一札所印が残されていた3番の朱印と極楽寺。
また、このほか「南葛88ヵ所 いろは大師61番」、「東観音5番」、「荒綾88ヵ所67番」という印も残されており、今となってはこれらはみな貴重なものである。 |
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◆明治43年の21ヵ所
大師道の道標 |
◆4種類の札所印が残されていた
極楽寺の朱印 |
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◆この札所は、明治38〜41年頃の開創といわれ、その多くは荒川辺88ヵ所の札所でもある。
一説によると、この当時盛んであった七福神巡りを、もっと広げたものらしく、
88ヵ所巡りよりは手頃なため、気軽に巡拝できる札所であったらしい。
参考:「東京遍路・荒川辺八十八ヶ所と隅田川ニ十一ヵ所霊場案内」より。
◆元来、江戸には弘法大師の札所として、御府内88ヵ所というのがあるが、範囲が
今の山手線全域に広がっていたので、その地域的なものとして、
豊島88ヵ所、荒川辺88ヵ所、新四国南葛88ヵ所、荒綾(コウリョウ)88ヵ所というように
各所で開創されたが、88ヵ所巡りは大変というので、弘法大師の命日3月21日に因んで
21ヵ所という簡略した札所が生まれたものであろう。確かに、88ヵ所を巡るには
時間、労力、熱意など大変なパワーがいるのである。
◆地域的に例えば、荒川辺88ヵ所を見ると、豊島88ヵ所や荒綾88ヵ所、新四国南葛88ヵ所と
被る寺院があり、豊島88ヵ所を見ると、御府内88ヵ所と被る寺院が多々見られる。
この隅田川21ヵ所も、荒川辺〜、南葛〜と被る寺院が多いのも、うなづけよう。
◆しかし、21ヵ所巡りが弘法大師に因んだからと言って、全てが真言宗の寺院で
構成されていないのも、当時の大らかさなのかも知れない。
江戸時期には、御府内21ヵ所というのもあった。
また、大正初期には府内28不動という札所もあって、深川不動を皮切りに
麻布の延命院まで巡る札所もあったが、今はいずれも機能していない。 |
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