−この札所について−
◆浅草から巡り始め、目黒で打ち納めとなるこの札所は、享保二年刊行の「江戸砂子拾遺」に記載されているもので、のちの天保九年刊行「東都歳時記」にも記録され、文政五年刊行の「分間江戸大絵図」にも示されている。
◆江戸の「観音札所」は、その後も「坂東写し札所」を始め、「江戸新撰…」や「西国写し札所」などかなり多くが成立している。
◆そして、地域的にこれを縮小した「山の手」「浅草」「深川」「葛西」「東方」「西方」なども出来た。<江戸三十三観音札所案内より抜粋>