46番・東光寺に安置

 13番・天澤院
 3番・地蔵院

13番・天澤院   9番・長光寺    5番・西勝院    3番・地蔵院

23番・密厳院   21番・圓通寺   18番・福昌寺   15番・常福寺

44番・明光寺   42番・清照寺   41番・龍圓寺   33番・宗禅寺 

見開きの案内図(所がぬけているが…)

◆朱印ページ2を追加↓

奥多摩新四国88ヶ所霊場 p 1

9番・長光寺門前と
奥の石灯籠は、
増上寺所縁のもので4基ある

◆長光寺 (飯能市)は、周りを山に囲まれ、通りに面した門は普段閉まっており、その左側道路から入ると、まず山門が目に入るそこをくぐると三門があり、その先に禅宗に良く見られる横長い本堂がある。
◆境内は苔むしていて風情があり、山に溶け込んでいる感じを受ける

図中の順路(一部)を走っていたと思われる当時の「おしどりバス」

< 道中図を広げると51×36.5cm >

縁起

68番 実蔵院に安置

3番 地蔵院は、七福神の
布袋尊でもある。

この札所は、昭和 9年(1934)、西多摩郡瑞穂町の武田弥兵衛氏を中心として、東京善心講の人たちにより開創された。
本尊は、修行大師の石仏と、四国の各札番と同じ本尊の石仏とを対にし、奥多摩から武蔵野一円の寺院と信仰家に呼びかけ、安置を依頼して始まった。 (著:新四国奥多摩八十八札所より)
昭和46年には専用の納経帳が作られた。昭和15〜50年頃には、バスを仕立てて多くの巡拝者がこの霊場を巡っていたそうだ。弥兵衛氏は昭和50年8月、90才ぐらいまで生き、没後は奥さんが石仏管理などのお願いに各札所を奔走する中、開山所に来る巡拝者へのお世話を続け、平成17年頃、84〜5才? で帰幽となった。
その後は霊場をまとめる方もなく、札所としての対応は正に伺って見て…。このまま朽ち果てていく感じがして寂しい気がする。寺院での朱印は概ね頂ける。
また、石仏が、在家や山裾・道路脇・鍾乳洞内などに安置している場合が多々あるので、その場合、多少の移管はあるが、朱印は主に当時からの管理者が守っているようで、伺って頂ける事もある。また、堂内に朱印があり、自分で押すところもある。
さらに遡ること1834年には、弥兵衛氏の3代前、武田安兵衛氏が同志の岡戸半蔵氏と共に「知多四国88ヶ所」を開創していたというのもご縁であろうか。知多霊場にも奥多摩霊場と同じような専用納経帳(cf:知多霊場サイトより)があったが、今は別の形だ。
近年、いくつかの札所では、露座の石仏にお堂を建てたり、大師堂を新しくしたり、不便な場所にあったのを、巡拝しやすい場所に移動したりと明るい話題も聞かれる。

左の弘法大師にはモダンな生地で
 帽子とよだれ掛けが…

・遍路道中図は、広げると下図のような参拝案内図になっており、当時の巡拝順序などを知る上でも貴重な資料と言えよう。当時は一部50円で販売していたようだ。

◆34番・持田家は、13番の天澤院の北側にあり周辺は吉野梅郷である。

札所朱印のベージ2へ

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   77番 金乗院に安置    78番 慶性院に安置

◆向かって左がそれぞれ弘法大師、77番の右は薬師如来、78番の右は阿弥陀如来となる。が…、77番では帽子や肩掛けなどがつけられ、どう見てもお地蔵様にされている感じが…南〜無。
3番 地蔵院のアケビ
3番・地蔵院のホオズキ
図中のおしどりバスの拡大図
山門はかなり時代を感じさせる。
 実蔵院の石仏