【 秋川三十四所札打順路記 】
1番から34番まで紹介

◆一 番 不動尊  戸倉村三島神社脇
 天秋山三十四番札うちの順路を訪ぬるに壱番の不動尊へは戸倉村より上り二丁、堂は四間四面惣朱ぬり銅ぶき也、不動尊は立像にて御長七尺余左右の両童子御長四尺余良弁僧正の御作ニ而 (にてしかも) 霊験日に新也。三十三年に一度開帳有、前不動毘沙門は弘法大師御作也。北脇に三嶋明神、疱瘡神、稲荷社、山号を冨蔵山と云。御詠歌に「冨蔵の山に旭の輝きて、我罪とがも消ゆる白雲」二番へニ丁

◆二 番 光厳寺  戸倉村
 光厳寺は御光厳院勅願の霊場にて本尊釈迦如来は天照春日御作源之尊氏公之再建之古道場。秋川ニ十八寺の本寺ニ而 (にてしかも) 禅宗也。御詠歌に「釈尊の御法り(みのり)かがやく光厳寺、二世安楽の誓い頼もし」うしろに城山と云名山有いにしへの古城跡なり。三月花盛りには日々見物群集をなす。戯に「春は花冬はおのづと降り積もる、戸倉の里の雪のしろ山」

◆三 番 長福  戸倉村(廃寺)
 寺中長福は三番ニ而(にてしかも)古今の絶景梅桜多し。本尊観世音は弘法大師の御作也。御詠歌に「梅桜植へて手向る観世音、さながら花の浄長なるらん」此処より盆堀村へ八丁。城山の中腹を行くに右は浅々たる岩石、左りは深々たる谷川也。木曽路にある架け橋や命をからむ蔦かづらもかくやと思い知られけり。
 戯をはんべりて「かけ橋にあらねどすごき深山路も、花を心のいさむ春朝」城山の物さみしき有様を見て「もののふの、ありし昔はさぞやさぞ、今は桜も閑古鳥哉」

◆四 番 西蓮寺  戸倉村盆堀(廃寺)
 無程四番西蓮寺に来る。本尊阿弥陀如来真言宗ニ而悲願寺末也。御詠歌に「深山路を訪ねてここに西蓮寺、弥陀の浄土の心こそする」其より五日市へ壱里、東の方へ三丁行くと稲荷の大社有。盆堀村の氏神にて毎年初午には十二神楽在り「初午や深山にひびく笛太鼓」と云へば道づれの人も皆をはべりて「ばかされぬよふに山路の稲荷社へ、一度は参れ二度はこんこん」其より橋四ヶ処在。戸倉の切通しへ出、この切通しは一面の岩石を切うがち、往来の通路とす。戯に「札打たば悪事を思ひ切通し岩より硬き御仏のみす。」
 此処に沢戸橋とゆふ通り大一の橋あり。左右の岩巌々として絶景也。殊に蛍の名所なれば夜もすがら左右の岩間に花の咲くが如くなれば渡る人の口ずさみに「蛍火の岩に花咲く沢戸橋、渡る心ぞ涼しかるらん」其より壱丁行くと子安明神の社在り中野村の氏神なり。歌に「幾千代も忘れがたさよ父母の、子を安々とうみ山の恩」

◆五 番 玉林寺  五日市町五日市
 無程五番の玉林寺本尊釈迦如来、観世音也。此等は日祭将軍桧原の城主平山新左ヱ門尉氏重公の開基也。御詠歌に「秋川の流に近き玉林寺、弘誓(ぐぜい)の舟に乗りてこそ行く」鎮守は天満宮の紅白の梅あまたあり。
 歌に「春風に匂いほころぶ梅の花、あるじは知れり菅原の神」六番へ四丁。

◆六 番 広徳寺  五日市町小和田
 川あり、秋川と云、夏は舟渡し也。此川筋楓おふし。初嵐のころは錦を流すが如ニ而竜田川もかくやと思いやられけり。戯に「秋川に楓を流す初嵐、波のうねうね錦なりけり」其より広徳寺に参詣すれば、本尊は観世音禅宗ニ而、ニ十四ヶ寺の本寺也。北條家の開基ニ而惣門、山門、経堂、鐘堂、本堂、玄関は銅ぶき也。御詠歌に「御仏の福田ひろき広徳寺、菩提の種をまけよ人々」裏に大いなる蓮池あり。
 戯に「池水を手向て親にこう福寺、蓮のうてなも父母のため」七番の留原へ五丁。滝坂と云所あり、坂に白糸の滝在。歌に「たそがれに心細くも立よりて、くり返し見る白糸の滝」

◆七 番 地蔵院  五日市町留原(トドハラ)
 早や地蔵院来れば本尊は地蔵菩薩、真言宗ニ而悲願寺末也。御詠歌に「一筋に道行きたたえ地蔵尊、さ竹の河原に迷ふおさな子」八番の高尾五丁橋在。

◆八 番 大光寺  五日市町高尾
 大光寺は悲願寺末ニ而真言宗也、珍数築山あり。村一面のさつきにて、いろいろと模様をとりかり込み、年を尽くしたる築山也。御詠歌に「名も高尾今を盛りの花の山、さつきの雨も晴れわたるらん」此にしばらく休足し築山をながめつつ「どこまでも音に高尾の花さつき、年を尽くしたるかり込みの山」これより伊那村へ七丁、秋川を渡る橋あり。

◆九 番 成就院  増戸村伊那(廃寺)
 九番成就院本尊不動明王、観世音悲願寺末ニ而真言宗也。御詠歌「観音に誓いし願いも成就院」

◆十 番 普門寺  増戸村伊那(廃寺)〜◆十一番 明光寺
 三十四番に参る身なれば、十番の普門寺へニ丁。本尊ニ十三夜観世音禅宗ニ而光厳寺末也。御詠歌に「観音の普門をひらき詠むれば、ニ十三夜の月のさやけき」隣寺の明光寺は十一番也。東はきふ近路あり。問うべし表へ参ればニ丁此寺本尊薬師如来運慶の作ニ而三十三年一度開帳あり。御詠歌に「有難や薬師如来の明光寺、瑠璃薬を与えたたえよ」光厳寺末ニ而禅宗也。十二番山田村へ八丁。

◆十ニ番 瑞雲寺  増戸村山田
 瑞雲寺は尊氏公の開基ニ而本尊観世音は弘法大師の御作。尊氏公の守本尊也。御詠歌に「豊かなる山田の船の花盛り、秋の御法(みの)りの頼もしき哉」光厳寺末ニ而禅宗也。十三番代継へ壱里。

◆十三番 真城寺  西秋留村上代継
 真城寺本尊観世音禅宗ニ而光厳寺末也。御詠歌に「此代継のちを代をつぎ極楽の、仏の誓い待つぞうれしき」此寺水沢山ニ而裏におふひなる池有、金魚、緋鯉、鮒おふし此を打ち眺めつつ、戯に「念仏の声もろともに此寺の、鯉鮒までも浮かぶ池水」ここにて休足し路を聞べし。
 原路にて知れがたし、ゆはゆる武蔵野にて東西ほふほふとして、果てしなし。戯に「春風に霞吹き散る武蔵野は、行方もしれぬ我思ひ哉」と言へば同行の男も「詠むれば心も広き武蔵野の、草より出る月をみる哉」と云うち早や瀬戸岡村へ出、川あり出水には渡るべからず。

◆十四番 長泉寺  夛西村草花(廃寺)
 十四番長泉寺此処迄壱里、御詠歌に「長泉の清き流の水鏡、見るたびことに浄土なつかし」禅宗ニ而光厳寺末也。

◆十五番 大行寺  夛西村草花
 十五番門前大行寺へ三丁此の間に小宮大明神の社在。別当大行寺本尊文殊菩薩。御詠歌に「極楽の門前近き大行寺、聞かま欲しきよ法(のり)の声声」悲願寺末ニ而真言宗也。

◆十六番 華蔵院  夛西村草花
 十六番草花村華蔵院へ四丁本尊不動明王、真言宗ニ而悲願寺末也。御詠歌に「詠むれば元はいろいろ草花の、く野辺さへ浄となるらん」十七番慈勝寺へ三丁

◆十七番 慈勝寺  夛西村草花
 本尊観世音は、むかし開山大和尚夢の告げに任せ、裏の山より掘り出したる霊仏旭観音と探し奉る。其処より今に清らかなる泉湧いづる。正五九月大般若転読参詣おふし。光厳寺末ニ而禅宗也。御詠歌に「ふだらくや、かがやく慈勝寺の、泉も深き誓いなるらん」寺の裏より玉川一目に見へければ休足すべし、東の打ちどめなり。其より十八番へ五十八丁道々寺おふし参詣すべし。

◆十八番 宝蔵寺  夛西村菅生
 尾崎村宝蔵寺本尊観世音は作仏ニ而霊験新にして日々参詣夛し。曹洞宗ニ而宝光寺末也。御詠歌に「山鳥の尾崎の春の永き日も、宝の寺に入合の鐘」十九番平井村へ十八丁。

◆十九番 宝光寺  平井村塩沢
 宝光寺は曹洞宗の本寺ニ而本尊観世音は霊仏なり。此寺に鹿の湯とゆふ名湯あり。昔し此の湯の湧き出る処に怪我したる鹿壱匹日々入来るに、四五日を過ぎて元の如く大丈夫と成て山に入しを、開山大和尚御覧あって心見に其湯を諸人に施し給うに皆々それぞれの病癒ゆる事如神低而鹿の湯と名付給ふ。
 御詠歌に「めぐり来て今宵はここに鹿の湯の、出るも入るも弥陀を唱えよ」此処に泊まり湯に入りゆるゆる休足すべし。此湯しつとひぜんには別而良く効くゆへ春さきは湯治人おびただし。たわむれに皆をはべりて「春は花秋は楓の鹿の湯は、しつとひぜんに妙とこそき効く」と言へば湯場の亭主取り合えず「諸病にも良く効く秋の鹿の湯へ、ゆるゆる入りて休め札うち」其よりニ十番北伊那村へ十丁。

◆ニ十番 松岩寺  増戸村伊那
 松岩寺本尊弥陀如来禅宗ニ而光厳寺末也。御詠歌に「松がんの鐘のひびきに夢さめて、御法りの声を聞くぞうれしき」ニ十一番悲願寺へ十二丁。

◆ニ十一番 悲願寺  増戸村横沢〜ニ十ニ番 観音堂太子堂
 真言宗の本寺ニ而大寺也。本尊は大日如来弘法大師の御作也。観音堂は五間四面惣ほり物、極彩色銅ぶき也。本尊は千手観音聖徳太子御作ニ而霊現新也。三月ニ十一日は参詣貴賎群集をなして、昔し此寺建立之時山谷に金の光かがやけり。これに依而山号を金色山と名付給ふ。戯に「金色の光は千手観世音、むかしも今も変わらざりけり」御詠歌に「神仏にむねの奥義を開きなば、真言不思議の加持とこそ知れ」。
 五日市へ十三丁観音堂太子堂あり。ニ十ニ番にて此の観音、しきび香仏と唱へ祐子内親王の御作と申伝へり。霊験日々新にして七月十七日は別而参詣老若群集をなす。御詠歌に「尊ふとさよ観音太子の誓いにて、いつか一度は弥陀の浄土へ」此に桜あまたあり。花盛には見物の男女、日の暮るるおも不覚吾暮らしけるを「来るる日もわかぬ桜の木の間より、袖に匂ほへる春の夜の月」廿三番入野村へ四丁。

◆ニ十三番 開光院  五日市町入野
 開光院本尊文殊菩薩は霊験あらたなる秘仏ビシュカツマノ作也。住僧一代に一度相見し或は霊夢を蒙ると也。御詠歌に「はるばると訪ね入野の寺に来て、文殊は母よ智(ち)こそほしけれ」禅宗ニ而広徳寺末也。

◆ニ十四番 楞巌寺(リョウゴンジ) 五日市町入野(廃寺)
 ニ十四番楞巌寺へ壱丁半。此の薬師は行基菩薩の御作霊験新にして三月十二日参詣如山。御詠歌に「南無薬師諸病をのぞく願こめて、参る我身を助け給へよ」広徳寺末ニ而禅宗也。廿五番へ拾丁。

◆ニ十五番 安養寺  五日市町中野(廃寺)
 中野村安養寺本尊観世音悲願寺末ニ而真言宗也。御詠歌に「睦まじく親子の中の安よふを、結ぶ契りは千代も八千代も」廿六番へ八丁。

◆ニ十六番 普光寺  戸倉村星竹
 星竹村普光寺本尊観世音禅宗ニ而光厳寺末也。御詠歌に「明星の光かがやく星だけは、仏成道の御法りなるらん」ここにて休足すべし。
 養沢江壱里横ね坂と云、山路也。此の山に上ると武蔵野一目に見ゆれば地口をはんべりて「横ねして武蔵野はらを只一目、たったらさぞや広の果てまで」あまりのおかしさのまま「聞くもいやだが踏み出せし横ね坂」そろそろ下ると本巣と云ふ所にいず。扨(さて)鶯は春早々谷の戸を出、詩歌の風流人に愛せられる五月雨の頃は本の巣にかへる故、此処を本巣し云ときしより。取りあへず「春くれば谷の戸出し鶯も、本巣に帰る五
  月雨の空」。

◆ニ十七番 養沢寺  小宮村養沢(廃寺)
 ニ十七番養沢寺観世音恵心の作也。庭にしら滝あり、御詠歌に「養沢の清き流れのなに成て心の中をすすぐしら滝」廿八番江壱里。

◆ニ十八番 常香寺  小宮村養沢(廃寺)
 これより山あいの路を行ふ板橋あり。川の流れ羊腸として風景筆に尽くし難し、其迷す筬事武陵桃源にも入るかと怪しまる。左右の山々に桜山吹咲き乱れたる有様はみやこ路の芳野の春もかくやと、思いやられあまり面白さのまま取りあへず「石なり桜花ぶき咲き乱れ、深山ぞ春の錦成れり」と云うち早や常香寺に至り。
 伏し拝み見れば本尊は観音、弥陀、地蔵也。御詠歌に「深山路を分け入りみれば常香寺、花の盛りの浄土なりけり」光厳寺末ニ而禅宗也。これより廿九番へ壱里十六丁。

◆ニ十九番 天狗岩  小宮村養沢
 元の道に立ちかへり下向(しもむかい)と云所に出この先に天狗岩と云岩あり。立ち寄り見るべし。しかし女中や年寄りには岩の上にのぼり難し下にまわりて見るべし。古今珍敷大石也。
 かたわらに山さかりにて面白さのまま皆々打ち詠めしばらく休息する時、戯に「見あぐれば梢も轟き山桜、はなを自慢の天狗岩哉」と云ば同行の人も取あへず「山桜花より高き天狗岩、はなを自慢のはなが自慢か」と云うより早く岩の上よりおふひなる声にて天狗の返歌に「四季咲の桜をつまに天狗岩、いつまでも御座れはなは自慢だ」と言いながらからからと打笑今熊さして飛去りけり。此今熊は俗に云よばわり山の事也。
 いにしへより天狗あまた住まいする名山也。札うちの次年に参詣すべし。五日市より近壱里也。扨(さて)天狗の返歌を聞くより、何やらものすごくなりけるゆへ早々坂を下りければ妙光庵。

◆三十番 妙光庵  小宮村寺岡(廃寺)
 本尊は阿弥陀如来、御詠歌に「妙光の光りは弥陀の浄土かや、暗き迷いは無きとこそ聞く」光厳寺末にて禅宗也。三十一番へ八丁。

◆三十一番 徳雲院  小宮村乙津(オヅ)
 寺岡村外れに板橋有、橋を渡り三十一番の徳雲庵へ参詣すべし。橋より五丁此処桧原川と養沢川と落合ゆへ落合村と名付る也。御詠歌に「谷川の水落合の寺なれば、心も清き有明の月」其より元の橋にもどり三十二番の東渓院へ参るべし。

◆三十二番 東渓院  小宮村寺岡
 本尊薬師如来霊現新に而正五九月参詣おふし禅宗 ニ而(にてしかも)光厳寺末也。御詠歌に「諸人の病を救ふ薬師仏、心へだてぬ瑠璃の寺岡」三十三番乙津村へ九丁。

◆三十三番 龍珠院  小宮村乙津
 坂ありニたん坂と云、山の上に霊験新なる地蔵尊ましますゆへ。たわむれに「尊さよ衆生済度の為にとて、山の上にと地蔵まします」ニたん坂のおかしさをはべりて「一たんにのぼろとすればニたん坂、さんざ休んで下りる乙津村」龍珠院本尊観世音光厳寺末ニ而禅宗也。三十四番桧原村御関所迄三丁余。


◆三十四番 吉祥院  桧原村
 板橋を渡りて桧原往来へ出、ゆくゆく見れば右之谷川におふひ成る滝あり。いかなる滝ぞと尋ぬれば中山の滝と云、取りあへず「春雨に水かさまさる中山の、滝の白波ひびく深山路」無程鬼きりと云所に来り、いかなるゆわれにて鬼切と言ふやと尋ぬれば、昔此処ニ而鬼を切りしゆへ鬼切り村と付けしと聞くより取りあへず「山路来て聞くも恐ろし此さとは、いかなる人ぞ鬼を切るとは」と言へば道過る人の口ずさみに「鬼切りし国つは者をたづねなは、今は草葉の露と答へよ」此往来日々牛馬の絶へ間なく月六斉の市日にはなかなか通り難し。
 □□太平の御代なれば関の戸をあけくれ通る牛の数々、関所ニ而旅人御改めあり。札打なれば仔細なし心静かに通るべし。ここに名も高き橘橋を渡りつつよくよく其絶景を見るべし。
 御用改の地にて公儀の御普請なれば念に危を入磨き立たる橘の花とも云べき橋なれば、たわむれに「極楽の金の橋はいかならん、かくもあらめや橋の橘」向こふに見ゆる吉祥寺桧原郷中の本寺ニ而禅宗也。本尊観世音は伝教大師の御作ニ而霊現新なり。御詠歌に「関を越し橘橋を渡り来て、大慈大悲と札納めけり」。
  「兼てより願ひし札を納めおく、桧原の里の吉祥の寺」
  「吉祥を祈りて札を打ち納め、皆安楽に帰る我が家へ」
  此寺いよいよ打ち納なれば龍々回向し、先祖のため両親方の不幸にして先立ちし幼子の為次に我が身安穏ニ而極楽国へおもむくよふに、一心に回向し目出度安心にて皆口やと元へ立帰り御日待の念仏あるべき事大一也。
  「御日待の念仏申座敷こそ、其のまま弥陀の浄土なりけり」。

                        【 安政ニ年卯二月 光厳寺住職:戒厳僧正 戯書 】より

  *文の内容はそのままに、一部を漢字などに変えて読みやすくしてあります。



◆5番・玉林寺の玄関で客を迎えてくれる達磨の書画


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▲五日市の高尾地区を流れる秋川では、多くの釣り人が鮎釣りを楽しんでいる。近くには8番の大光寺がある。