24番・吉祥院周辺に広がる麦畑
◆児玉町から美里町、本庄市、神川町などに点在する児玉三十三霊場を紹介しています。<1番から7番>
 【 御詠歌 : たずねきて めぐりて拝む さゞえ堂 百観音の 誓いたのもし 】


【写真左】は1番・平等山 成身院で真言宗の寺院である。縁起によると、開基は関東管領足利持氏公と言われる。【写真右上】は成身院観音堂で、成身院の奥にある丘の上に上がった所にあり、二層に見えるが内部は三層回廊式になっていて、一階は「秩父34観音」二階は「坂東33観音」三階は「西国33観音」各霊場の観音さまが祀られ、右回りにお参りしながら上ってゆく。その形が「さざえのつぼ」のようなところから「さざえ堂」とも呼ばれている。【写真左】は観音堂のふもとに建つ朱塗りの山門で左右にあ・うんの木像が安置されている。
 【 御詠歌 : 慈悲ふかし あまねく人の 願いをば かなえて清き 谷川の水 】


 2番・普明寺は、縁起によると1660年代に1番・成身院の末寺として開創された。江戸時代には、本堂・道場・庫裏・客殿・薬師堂・阿弥陀堂があったが、嘉永年間に火災によって山門【写真右上】と薬師堂を残し焼失した。のちに蚕室を移築して本堂としていたのを平成になってから改築されている。小高い丘の上にあるので周囲の眺めが良い。また寺の内外にはアヤメ、ツツジなどいろいろな花が咲いてきれいである。
 なお1番、2番の朱印は成身院山門前の商店が管理している。
 【 御詠歌 : 雲流れ 花咲き競う 薬師堂 鐘の響きに 歌う松風 】
【写真左】は3番・白雉山 法養寺の観音堂。珍しい六角形の建物で本堂の向かい側に建っている。本尊は珍しい不空羂索観音を安置する。
【写真右上】は本堂で境内の芝生が良く手入れされている。寺は児玉町の中心部にあり、周辺には4番・玉蔵寺〜9番・圓通寺の札所が点在している。
 【 御詠歌 : 人の世の 流れつきせぬ そのまに 地蔵菩薩に すがる人々 】
【写真右上】は4番・雉岡山 玉蔵寺で臨済宗の寺院である。当時は武田一族の庇護のもとにあったが慶応元年の火災により寺宝ことごとく焼失している。再火を逃れた山門は、釘を一切使わない建物で、左甚五郎の作と伝えられ児玉町の文化財になっている。ここから北に進み、仲町交差点を左折して150mほど歩くと6番の実相寺へと続く。
【写真左】境内に建つ地蔵菩薩像と、地蔵菩薩名の石碑がある。
 【 御詠歌 : 紫の 雲たなび来て 歓喜山 心ゆたけく おろがみまつる 】
【写真右上】は5番・実相寺で、浄土宗の寺院である。本尊の阿弥陀三尊( 阿弥陀如来と脇侍として観世音菩薩と勢至菩薩 )は埼玉県の有形文化財になっている。また塙保己一の生家の菩提寺にもなっている。
 児玉市内にはこの実相寺を始め、3番・法養寺から9番・圓通寺など6ヶ寺の札所が連なっている。特に6番・浄眼寺は西側の町役場をはさんで近い場所にあるが、近年その役場への南北道路が拡幅され、町並みも少しづつ変化している。
 【 御詠歌 : 松か枝に 雉が岡なる 観世音 慈眼の光 授けたまはん 】
 6番・浄眼寺は、延徳四年雉岡城主だった夏目豊後守が再興した。その後も度重なる火災に見舞われ焼失。明治三年檀信徒の力により再興になる。寺から北に歩いて行くと雉岡城址もあり散策出来る。また、札所の山号に雉の字が使われている寺院がいくつかあるが、昔この地域に雉丘城があった事から付けられたのである。その城の名も雉丘城、雉ヶ岡城など時代に寄って呼び方も変遷している。【写真左】は、寺の近辺に残る木造旅館で長い建物や蔵なども残されており、周辺散策も面白い。
 【 御詠歌 : 鐘の音は 御佛の声 嬉しくて 吉祥祈る 人むれるなり 】
【写真右上】は7番・吉祥山 天龍寺で曹洞宗の寺院である。八幡山雉ヶ岡城主が開基となり今の場所に移し天龍寺とした。
【写真左】は朱塗りの山門で、時代を経て色がさめてはいるが、それがまた重厚さを増している。二階にある銅鐘は県指定の文化財だという。天龍寺周辺には、3番法養寺〜9番円通寺、30番渕龍寺などが点在している。