◆山形地方に点在する 最上三十三観音霊場と御朱印や御姿などを紹介しています。<p1/5> 札所1番〜7番
【写真上】最上観音札所1番・鈴立山 若松寺と「圓通閣」の扁額。縁起によると、みちのく最古の観音霊場と云われる最上観音の1番・若松寺は708(和同元)年、行基菩薩の開山と云い縁結びの観音としても知られる。平日でも結構人が訪れ、堂内で読経する巡拝者が見られる。
【写真右】は観音堂手前の左手に建つ朱印所で、曲屋造りで「天台宗祈願道場」とある。各種護符棚は積雪を考えてか少し高い位置にある。時間があれば、気さくな住職のお話しや観音堂の案内をして頂ける事もある。各札所には案内板も整備。

















ご朱印は曲屋造りの本坊で授ける


【写真上】は最上2番・山寺千手院。山寺で有名な立石寺門前からJR仙山線に沿って緩い上りの細道を1kmほど進むと少し広くなった所に鳥居と札所の看板が目に入る。鳥居を背にすると眼下に眺望が広がる。石段を上がるとJR仙山線の踏切があるが遮断機は無く自己確認で渡る。その先の古い石段の上に堂が建つ。
【写真右】は、千手院への上り参道に建つ鳥居で、最上観音のかなりの札所では入口や参道に鳥居があり、神仏一体であった事が伺える。堂左手に朱印所があるが、立石寺とは関係なく地元の方が書く。















千手院への入口に立つ鳥居で、
皆この石段を上がり線路をまたぐ


【写真上】は最上3番・千手堂と「観音堂」の扁額。JR奥羽本線漆山駅の西側2km程の所に建ち、一帯は千手堂という名が付く。縁起によると奈良時代の創建と言われ七堂伽藍があったが火災等で焼失。一時は地元、斯波(すわ)家のひごで再建されたが再度焼失し現在のお堂は昭和46年再建という。周囲は観光果樹園(主にサクランボ)が散在する。
【写真右】は観音堂左手にある聖武天皇勅願1250年記念に復元された延命曼荼羅塔を復元したもので、抜苦殿と書かれた扁額の赤門を潜り、曼荼羅の世界に浸れるという…。

















境内に作られた延命曼荼羅塔の入口門



【写真上】は最上4番・圓応寺観音堂と寺名の扁額。縁起に寄ると創建は約660年前と云われ、山形藩主・斯波(すわ)兼頼の方位除け祈願所として建てられ、本尊の観音は33年毎の御開帳で次回は2039年とか。市内には斯波の字がついた店なども目に付く。どの札所でも最上観音別当会の寄進によるのぼり幡が奉納され巡拝時の目印になっている。
【写真右】は寺の山門と左手に鐘楼堂。門内の右手に本堂がありご朱印が受けられる。また塀の内側には数十体の地蔵が立ち並び、みな赤い帽子とよだれ掛けが付く。


















山門の外側に鐘楼堂と標石が立つ



【写真上】は最上5番・護国寺と唐松観世音の扁額。通称の唐松観音の方が名が通る。観音堂は懸崖(けんがい)造りで遠くからも良く見える。参道はその下を通るので見上げればその壮大さを感じる。今の堂は昭和後期に再建された。堂の窓の白い斑点は窓網に結んだおみくじ。
【写真右】は馬見ヶ崎川にかかる観音橋で、橋の手前の右側に朱印所がある。朱印所の向かい側から鳥居をくぐり崖に沿った上り参道となる。また、橋の向こう側は広場と駐車場で、河原に下ったその広場は山形名物芋煮会の会場となる。















参道へと続く観音橋と猿岡山を望む。
駐車場から見る観音堂は撮影スポット。