◆近畿地方に点在する 西国三十三観音霊場と御朱印や御姿などを紹介しています。<p1/6> 札所1番〜6番
<本尊:如意輪観世音>
【写真上】は西国1番・青岸渡寺と「那智山」の扁額。本堂前には奉納された、那智山如意輪観世音菩薩ののぼり幡が立つ。本堂左手には直ぐ那智大社があり、参詣者はほとんど両方に立ち寄る。建物や周囲は2004年に世界遺産となっている。
【写真右】は、青岸渡寺上り参道の途中から左に行く那智大社への参道で、朱塗りの鳥居や那智山熊野大権現の幡が立つ。寺側から上って大社側から下る方が眺望が良い。また那智の滝へのアクセスも良い。























青岸渡寺の上り参道途中から左の
鳥居を上がると那智大社本殿に続く

<本尊:十一面観世音>
【写真上】は西国2番・金剛宝寺と「救世殿」の扁額。縁起によると紀三井寺は紀州にある三つの井戸がある寺という事で、境内から三つの霊泉が湧き出ている事から由来する。本尊の十一面観音と千手観音は秘仏で、H20年にそれら観音を合わせた形として境内に12mの大千手十一面観音を祀る大観音堂が建てられ間近で参拝出来る。
【写真右】は、朱塗りの山門で、門前にはミカンを売る店が並び、その先約800m程で和歌浦湾が広がる。















【 通称:紀三井寺 】


朱塗りの山門は国の重文指定である。
山門の背面は名草山(223m)

<本尊:千手千眼観世音>
【写真上】は西国3番・粉河寺と「風猛山」の扁額。扁額の文字は紀州の第十代藩主の揮毫と云う。寺は770年、大伴氏により開基され本尊・千手千眼観音は秘仏である。本堂などの建物は鎌倉時代に伽藍が整備されたが、秀吉時代に焼失し江戸期に再建された。また粉河寺縁起絵巻と云う紙本は国宝に指定され、病気回復が叶うとして多くの信仰を集めている。更に本堂手前の中門も1830年代に建てられたもので国の重文である。南側には秋葉公園がある。




















重層造りで朱塗りの山門で四天王が
安置されている。手前は粉河寺の標石碑
<本尊:十一面千手千眼観世音>
【写真上】は西国4番・施福寺と「観世音菩薩」の扁額。寺は槇尾寺とも称し、槇尾山山麓にある県道228号の観光センター(標高275m)より上り参道約950段が始まる。観光センターには杖が用意されており使う人多し。途中の山門まではゆるやかだがその先から標高475mの本堂までが不揃いの石段が続き修行のようだ。本堂下にある愛染堂は西国17愛染霊場15番である。また弘法大師剃髪堂跡の標石碑も立つ。境内には西国観音を収めた観音堂があり奈良の山々が眺望できる。
















【 通称:槙 尾 寺 】


参道途中に建つ仁王門で
ここから約900段の乱石段が始まる

<本尊:十一面千手千眼観世音>
【写真上】は西国5番・葛井寺と寺名の扁額。寺は近鉄南大阪線の藤井寺駅東口より商店街を歩くと西門がある。本尊の千手観音座像は奈良時代の作で日本最古と云われ実際に千本の手があり、時折各地の博物館等に出張すると云う。南側に建つ仁王門前には吉野葛の店もあり、葛菓子に一息つけよう。
境内には龍の向拝をもつ観音像があり洗心龍乗観世音と呼ばれ、水掛け用の柄杓が並んでいる。周囲には応神陵古墳を始め多くの古墳もある。























近鉄南大阪線 藤井寺駅南側から
藤井寺まで延びる地元一番町商店街

<本尊:十一面千手千眼観世音>
【写真上】は西国6番・南法華寺と寺名の扁額。八角堂の方が観音堂だが手前併設の方が本堂かと見間違う。手前は礼堂(普照殿)で横から観音堂に入る。内陣の周囲は一周でき眺めも良い。寺の入口には500人収容出来る朱塗りの大講堂が鎮座する。三重塔は1500年頃の再建とかなり古い。また壺阪霊験記にまつわる「お里沢一」の像もある。
境内右手の高台には天竺渡来の大観音石像や、長さ8mの大涅槃像が横たわる。















【 通称:壷 阪 寺 】


内陣に飾られた信者から寄進の人形は
雛曼荼羅と呼ばれている