◆近畿地方に点在する 西国三十三観音霊場と御朱印や御姿などを紹介しています。<p2/6> 札所7番〜11番
<本尊:如意輪観世音>
【写真上】は西国7番・龍蓋寺と寺名の扁額。寺は通称:岡寺と称し、明日香村 岡地区に建つ。縁起に寄ると、663年の創建で天智天皇の勅願により日本最初の厄除け寺院として開かれたとある。境内の書院と楼門は国の重文指定である。また明日香村内には大小数多くの古墳群が点在し、一部は公園になっている。
境内には楼門、三重塔、大師堂、納骨回向堂などの伽藍が立ち並ぶ。本尊の如意輪観音は珍しい塑像で日印中の土で作られていると云う。本堂前には龍を閉じ込めたと云う龍蓋池がある。

















【 通称:岡 寺 】


岡寺の仁王門でここで入山料を払い
境内に進むと左石垣の上に書院が建つ。

<本尊:十一面観世音>
【写真上】は西国8番・長谷寺本堂と寺名の扁額。寺は773年、西国観音霊場を開祖した徳道上人の開基で、本尊は高さ10mの十一面観音木像だが、1538年の再造立であり、以前の本尊の一部が胎内に納められていると云う。また花の寺としても有名で牡丹も7000株を有する。本堂は前面が懸崖造りとなっている。
寺はボタンの名所で、4月下旬頃からはボタン祭が開かれ大勢の観光客が訪れる。また五重塔や大師御影堂等も立ち並ぶ。
門前の通りは初瀬街道と呼ばれ、山側に進むと初瀬ダムにつながり、水源は天神山(451m)に遡る。



















仁王門から観音堂までつながる石段と
屋根付き登廊が続き、上った頭上が鐘楼堂

<本尊:徳道上人坐像>
【写真上】番外札所の法起院と「開山堂」の扁額。寺は初瀬街道と呼ばれる長谷寺参道に立つ看板の奥に山門があり「長谷寺開山坊法起院」の標札が掛かる。法起院は長谷寺塔頭寺院の一つで、西国観音霊場に尽力した徳道上人が晩年を過ごした所である。開山堂の裏手には徳道上人御廟十三重塔が立つ。その周囲には西国観音霊場のお砂を敷き詰めてある。
また境内には、青面金剛尊像を祀る庚申堂があり、東側には与喜山暖帯林が広がる。

















両端に茶店が続く長谷寺参道に見える
法起院の看板。沿道は奈良漬や草餅の店多し

<本尊:不空羂索観世音>
【写真上】は西国9番・興福寺南円堂と御詠歌の扁額。南円堂は江戸期の再建と云われるが建て方は北円堂を参考にしたと云う。本尊の不空羂索観音は運慶の父 康慶と一門の作と云う。南円堂の南側石段を下ると猿沢の池が目の前に現れる。
また東金堂の北側には国宝館があり、5mの千手観音像や阿修羅像等国宝級の仏像群が間近に拝観できる。東金堂の東側に興福寺本堂があり、更にその東側には奈良国立博物館がある。















興福寺東金堂と五重塔。
東金堂前の石舞台は中金堂建立予定地

<本尊:千手観世音>
【写真上】は西国10番・三室戸寺と「明星山」の扁額。この扁額は下部が脚付き、上の左右に突出部がある珍しいタイプで、7番の岡寺や東大寺、建長寺の扁額にも見られる。本堂は重層式入母屋造りで1800年代の再建と云う。本堂前には牛の石像(狛犬ならぬ狛牛)が鎮座する。口の中にある玉を動かし観音像に触れると勝運がつくとされ、手を入れる参拝者多し。
本堂前には大きな鉢植えの蓮が多数置かれている。山門前には7,80段石段があるが、その最初の所に立つ「ようおまいり」の石碑が心を和ませる。石段上の山門は朱塗りというより、オレンジ色をしている。



















きれいに手入れされた庭に建つ
鐘突き堂と、奥に江戸中期の三重塔

<本尊:准胝観世音>
【写真上】は西国11番・醍醐寺観音堂で本尊・准胝観音を安置する。本堂下には西国観音霊場記念旗が数十本も立ち並ぶ。開基は弘法大師の孫弟子の理源大師により上醍醐に草庵を結んだ事に始まる。その折り醍醐山明神の化身が、ここの湧き水を飲み「醍醐味なるかな」と言った事が寺名の由来と云う。開山堂には理源大師坐像が安置。
境内を含め寺全体が世界遺産になっている。金堂、五重塔、三宝院、金堂、不動堂等多くの伽藍が整っている。



















国宝・三宝院唐門で1600年頃に造られ
秀吉の五七の藤と菊の紋が付く