▲真っ赤に色づいたカエデが日に映えてきれいだ。この道の手前には5番の玉林寺があり、左手下には秋川が流れている。桧原街道から南に入った細い道で、車も少ないのでのんびりと散策できる。
◆写真上左右。かつてはここに2番・光厳寺の末寺として普門寺という寺があった。本尊は長さ二尺で銅の阿弥陀如来立像。しかし、明治六年八月、火災により堂宇は焼失。11番の明光寺に合寺となった。その後跡地には上原自治会館が建ち、地域交流の場になっている。また、普門寺近くの家には真っ赤に色づいたマユミの木の実も見られ、散策も楽しい。
◆写真左は、平成12年11月、明光寺の本堂落慶の際、檀家の協力によりここに「普門寺跡」の標石碑が寄進された。碑の裏には寺の説明が記されているが、隣家の塀に沿って建っているため読みづらいのもご愛嬌かと…。
*ご詠歌は、「観音の普門を開き詠むれば 二十三夜の 月のさやけき」
◆10番・ 寄福山 普門寺 (廃寺)
◆11番・ 薬王山 明光寺
◆境内で、上を見ると百日紅の大木があり、足元を見ると真っ赤な美女桜の群生が楽しめる。
◆11番・薬王山 明光寺。周囲は住宅地に囲まれているが、静かな所である。境内に入ると真っ先に百日紅の大木が目に入る。この伊那地区には9番の成就院もすぐ近くにある。
*ご詠歌は、「有難や薬師如来の明光寺 瑠璃繁を与えたたえよ」
◆12番・白華山 瑞雲寺
◆本堂に向かって左手にある水場は、中から清水が湧き出ており、池に注いでいる。手をつけるとヒャッとして一服の涼をいただく。池には悠然とコイが泳いでいる。
*ご詠歌は、「豊かなる山田の稲の花盛り 秋の御法りの 頼もしきかな」
◆札所12番・瑞雲寺。寺は、秋川街道から川沿いに下りて行くので隠れた感じがして風情がある。夏は、南側のさらに下にある秋川で、川遊びする子供たちの声がセミの声と共に聞こえてくる。
◆写真上は、大光寺本堂の右手の高台に立つ観音堂。かなり古い。寺は「多摩新四国88ヶ所60番」の札所である。左の扁額は「大光密寺」とあるが、密寺とは…いわゆる密教の寺院で、天台宗は台密、真言宗は東密とも言われている。ここ大光寺は真言宗の寺院である。
◆写真右は、大光寺へ続く上り参道にびっしりと咲く萩のはな。また、寺の高台を囲むように川が流れていて、岸には曼珠沙華が咲き、その川に架かる橋を渡ると上り参道へと続く。
*ご詠歌は、「名も高尾今を盛りの花の山 五月の雨も 晴れわたるらん」
◆8番・ 宝生山 大光寺
◆9番・成就院は真言宗の寺院で本尊不動明王を安置する。通常無住。境内には六地蔵尊があり、かつては大悲願寺の末寺の一つであった。
また、周辺には10番・普門寺跡、11番・明光寺や21番大悲願寺といった札所が点在していて、自然の中をのんびり散策出来る。
寺院から北に歩くと、ほどなくJR五日市線の踏切があり、其の先は大悲願寺や横沢入里山保全地域などの見所もある。
*ご詠歌は、「観音に 誓いし願いは 成就院」
◆9番・ 流沢山 成就院
◆写真左は、時代を経た山門。寺の周辺には、「たき坂」「間坂」「ほうない坂」などの坂が残されていてそれらの散策も楽しい。また、境内にある高さ7.5mのシダレザクラは、市指定の記念物になっている。
◆写真右は、真城寺の本堂と萱葺き屋根の鐘楼。この地区は上代継(かみよつぎ)と言われ、ご詠歌にもその代継が挿入されている。本尊は長さ八寸の地蔵菩薩木座像。
*ご詠歌は、「此代継(このよつぎ) のちを代をつぎ極楽の 仏の誓い 待つぞ嬉しき」
◆13番・ 興国山 真城寺
◆写真右は、長泉寺で都道165号線の西草花から北に上がった高台にあり無住である。寺は、かつて2番・光厳寺の
末寺であったが、明治38年頃に廃寺となり、17番・慈勝寺に合寺となったようだ。
また、当初は境内に薬師堂があった。この薬師如来は石に彫刻した像で、石の大きさは一尺七寸、幅八寸で、薬師
像は一尺二寸ばかり。その云われは…
土地の人が云うには、昔、時の弘法大師が全国を行脚中、この地の某民家に宿ったとき、主人の女で竹という者が
死んだのを不便に思い、大師が石面に爪で彫り付けた薬師像である…と。されど、是等のことは多々里民の口碑に
伝えているのみで、信ずる事にはあらざれと姑し伝えるままを記したとある。
◆写真左、高台にある長泉寺境内からは、八王子や高尾の
山々が眺望出来る。南側には道路を挟んで、市の草花公園
があり市民の憩いの場になっている。
*ご詠歌は、「長泉の清き流れの水鏡 見るたびごとに 浄土なつかし」
◆14番・ 薬王山 長泉寺 (廃寺)