◆関東地方に点在する坂東三十三観音霊場と御朱印を紹介しています。<p4/5> 札所22番〜28番
















【写真上】は22番・佐竹寺と「妙福山」の扁額。ご朱印は現住職のご母堂氏の揮毫による。縁起によると茅葺の本堂は1546年に建てられ、明治39年、国の重文に指定。
本堂には当初回廊があったが、関ケ原の時に西軍だった為、後日下命により取り払われたと云う。言われて見れば、火頭窓や柱等に名残りが残る。また北向きの本堂は、佐竹城の鬼門の方位を鎮護の為と云われる事から北向き観音とも呼ばれている。本尊は十一面観世音で聖徳太子の作と伝わる。
【写真左】は、佐竹寺の山門で深い赤門である。門の左側の道路は、県道61号で手前側に進むと常陸太田市内へと続く。
















【写真上】は23番・正福寺と「佐白山」の扁額。かつては観世音寺と称していたが、2012年に今の住職(前住職の娘さん)になった時、昔の正福寺に戻しているが、一部の標札は"観世音寺"のまま残されている。駐車場周りは多くのツツジが植えられ、咲く時期にはツツジ祭りが行われる。寺は普門宗となっているが真言宗系の単立である。また参拝者には「結願の證」が授与される。本尊は十一面千手観世音で佐白観音とも呼ばれている。
【写真左】は、境内の高台にある鐘楼堂だが鐘は無かった。寺の駐車場の南側には笠間城が、東側には市立美術館、更に東側には自然公園が広がる。正福寺は、関東108地蔵59番を兼務する。












【写真上】は24番・楽法寺と「観音堂」の扁額。朱塗りの観音堂の左手には黒い多宝塔が建つ。本尊は珍しい延命観世音で、その木造観世音は国の重文に指定されており雨引観音と呼ばれている。縁起によると嵯峨天皇の頃(821年)、大干ばつがあり、御門は写経をこの寺に収め祈祷させたところ、国は雨に潤い五穀豊穣となり、その後勅命により雨引山と定めたとある。また境内にある御所明神は、足利尊氏公の鎮守とされる。
【写真左】は、境内で参拝者が近づくとこのように羽を広げてご挨拶? 境内には多くのサクラがあり、時期には参拝者多し。 寺は関東88ヶ所特別霊場や東国花の寺百ヶ寺の札所でもある。














【写真上】は25番・大御堂と寺名の標石。石段下には池があり、上から長い竹をつないで水を引き、参拝者はここで手をすすぐ。本堂のガラスには葵の門が切り込まれているが、この寺が大塚の護国寺別院という縁起により、徳川家の庇護が篤かったのである。右手には筑波山神社や愛宕神社があり、お堂の裏手を上っていくと筑波山へのロープウェイ乗り場へと続く。。本尊は十一面千手観世音。御朱印の上側の梵字のタラーク(千手観音)が力強い。
【写真左】の左側は境内に咲くトケイ草。境内前の道路沿いには旅館やホテルもある。少し西に進むと観光案内所があり、周辺の散策情報が得られる。














【写真上】は26番・清瀧寺と「南明山」の扁額。寺は幾度かの焼失を経て、特に昭和の時期に火災に見舞われた折りは小野地域の檀信徒達が中心となりコンクリート造りながら再建を果たしている。納経所は本堂左手にあるが、書き手も地域の方々の力によるもの。本尊は聖徳太子の作と云われる聖観世音菩薩で、清瀧観音と称されている。
【写真左】は中門で二階層の朱塗りの仁王門で天保年間(1830年代)の建立という。手前には南明山慈眼院の号が刻まれた石碑が立つ。アクセスは常磐道の土浦北インターから、県道199号のフルーツラインを北上すると約5km程と近い。














【写真上】は27番・円福寺観音堂と「福聚海」の扁額。福聚海とは観音経の中の福聚海無量からきている。本尊は十一面観世音で飯沼観音と呼ばれている。ここから東へ200m程進むと円福寺本坊や庫裏、校倉造りの釈迦涅槃堂が建つ。かつては本坊から観音堂周辺までが、全て円福寺の寺域だったが、県道244号が通る事により分断されている。北へ200m程行くと利根川河口に出るまた、銚子漁港も近い。銚子電鉄の観音駅からだと本坊も近い。
【写真左】は、観音堂内陣に掲げられている奉納額の一部で、女性たちによる円福寺への参拝記念に奉納されたもの。他にも多種の奉納額はあれど、みな時代の流れで色あせて判別も難しいものばかりである。














【写真上】は28番・龍正院と「滑河山」の扁額。この扁額がある本堂内陣上部には御詠歌額と天女の彫刻が施されており見応えがある。 本尊は十一面観世音で滑河観音と呼ばれている。寺から北西に700m程行くと利根川がある。その川沿いを10分程で圏央道神崎ICとアクセスも良い。また下総七福神の毘沙門天も兼ねる。
【写真左】は龍正院山門で柱は珍しい十六角形となっている。屋根は茅葺で大きなしめ縄が目を引くが龍を模したとされる。縄には12本の櫛が下がり、少し頭を下げて門をくぐる事になる。うるう年には13本が刺されるという。門は桃山時代の創建と云われ国の重文に指定されている。