◆新潟県に点在する 越後薬師霊場と御朱印や御姿などを紹介しています。<p3/5> 札所11番〜15番


【写真上】は薬師11番・総持寺と「得真如」の書額。縁起に寄ると、平安時代に奈良の高僧がこの地に巡錫の折り、ここで彫った薬師像を祀った事に始まる云う。境内から見附市指定史跡の見附城に上る山道には、西国33観音のお砂を埋め、石仏を安置した西国観音写し巡拝路がある。
【写真右】は、本堂内陣の天井に吊るされた籠で、江戸時代に住職が籠を使えるほど格式があったのであろう。寺は越後88ヶ所58番を兼務する。南側には広大な見附市運動公園がある。
















この籠は、かつて住職が大事な
所用の際に使用していたと云う



【写真上】は薬師12番・如法寺薬師堂と「中海山」の扁額。縁起に寄ると、薬師堂は文禄年間(1593〜1596年)頃に建立されたと云い近隣では長嶺の薬師さまとして信仰を集めてきた。また如法寺の本尊・観音菩薩は、室町後期の作で三条市指定の文化財である。
【写真右】は山門で手前には地元の道路が通る。鉄道では信越本線・東光寺駅から東へ約2.2kmほど進んだ長嶺地区である。南側には三条市の大龍山241mが望める。近くには「火井の地」即ち天然ガスが出る井戸があり書物にも紹介されたが今は埋められた。














駐車場から数段高くなった所にある山門や
六地蔵尊で、雪対策のためもあろうか



【写真上】は薬師13番・安養院と「鐡宮山」の扁額。縁起によると1146年の創建で法相宗であったが、1400年代末期に根来寺の高僧・法印英を迎え真言宗となっている。本堂内の天井は200の升目になっており、奉納写経文がそれぞれ嵌め込んである。
また本尊・阿弥陀の脇侍として安置されている十一面観音は、平安後期の作で三条市指定の文化財になっている。南側には五十嵐川が流れ本町6丁目で信濃川に合流する。町内には町名の由来となった一ノ木神明宮があり、屋根の千木が外削ぎで鰹木が7本と奇数なので男神が祀られている。















釈迦涅槃像で
漆地に螺鈿細工のような繊細な四幅の画



【写真上】は薬師14番・金泉寺と「医王山」の扁額。寺は加茂市狭口地区の集落の中に建つ真言宗の寺院である。縁起によれば、奈良時代の行基の開山と伝わる。また本尊の薬師如来木像(行基作)や、古くから伝わる金剛界・胎蔵界一対の曼荼羅は加茂市指定の文化財になっている。
【写真右】は門柱の左側に立つ六地蔵尊だが、地蔵尊よりかなり大きなお堂に安置されている。寺前の大通りは国道9号で平行して加茂川が流れる。下流は加茂新田を通り信濃川に合流している。














各地蔵はみな経年劣化しているが
それそれ修理して保存されている



【写真上】は薬師15番・青龍寺薬師堂とその扁額。縁起に寄ると創立は734年、高僧行基菩薩がこの地に巡錫のおり開山したと云う。また上杉景勝の書状や親鸞聖人筆の輪が残されていると云う。白と朱塗りの薬師堂内にはあ・うんの金剛力士像があるが、皆白いタスキ姿である。
【写真右】は、薬師堂手前に建つ本堂などの伽藍。青龍寺は、越後88ヶ所32番や越後弘法大師21ヶ所15番の札所を兼務する。通りの旧道沿いには酒蔵や日帰り温泉施設などもある。






西










左側に本堂、右手が庫裏や客殿で
境内にはレンギョウが咲く。背面は弥彦山