◆ときがわ町から、鳩山町、嵐山町や越生町に点在する入比坂東33観音札所と御詠歌を紹介しています。<8番〜14番>
【御詠歌】 蓮(はちす)咲く 御法りの風に吹添て 千里へひらく 都地波の堂
 【写真上】は8番の都地波堂で、ときがわ町の田中交差点を北に進み都幾川を渡り、その先の信号を左折するとまもなく右手に見える。お堂は地域で管理しており、毎年5月のお釈迦さまのお祭りの日だけ開くという。お堂の左に札所順路板が立っている。【写真右】はお堂の向かいに広がる健康広場と農村文化交流センターで、正面に弓立山を望む。
          <ときがわ町 本郷地区>

【御詠歌】 日影さす これは真の光りかな 御法りあまねく 四方を照らせば
 【写真上】は9番の眞光寺で禅宗単立の寺院である。苔むした萱葺き屋根と花草木に囲まれた所で正に自然に溶け込んでおり、しかも静寂である。県道30号の日影から南に進むと、眞光寺参道の目印となる古い標石が見えて来る【写真右】。其の先の分岐を小さな石仏の建つ左方に進み、未舗装の急坂を上りきると寺前に着く。気さくな住職とイヌが迎えてくれる。
          <ときがわ町 日影地区>

【御詠歌】 五明まで 学びつくせぬ大菩薩 中に尊き 医王なりけり
 【写真上】は10番・圓通寺の方丈で曹洞宗の寺院である。ときがわ町五明地区の南側の高台にあり下は八高線が通っている。境内には20mを越す杉の木立があり、入口の寺院標石は天保五年と記され、時を経ている。無住で管理は嵐山町の班渓寺となる。【写真右】は寺への上り口に建つ標石で、甚深般若波羅密とある。また線路を挟み北側の山腹には9番・眞光寺がある。
          <ときがわ町 五明地区>

【御詠歌】 逆川 世の罪とがも法(の)りの網に 洩らさですくふ 大慈悲のきし
 【写真上】は11番・龍法寺で曹洞宗の寺院である。天文年間(1550年頃)の創建という古刹であったが、明治期に焼失後に再建されたが、老朽のため平成16年に再建された。【写真右】は寺の周辺にある田んぼで、稲を笠懸にし天日干しとしている。ガードレールの向こう側には雀川が流れており、都幾川に合流する。管理は班渓寺で10番、11番とも朱印はないという。
        <ときがわ町 玉川上郷地区>

【御詠歌】 いつくしむ 心つもりて渕となる 誓いてりそふ 玉川の水
 【写真上】は12番の慈眼寺で真言宗の寺院である。寺は無住で越生町の法恩寺が管理と朱印を行う。県道171号の根際集落センターから北に入った集落の中にあり、一般住宅のような建物である。また札所順路板もある。【写真右】は寺の北側境内に咲く曼珠沙華の群生。さらに奥には雀川が流れている。11番から東に雀川沿いに下って来ると近い。
         <ときがわ町 玉川地区>

【御詠歌】 松風の 月をさそひて坪木堂 庭にしらぶる 法(のり)の音楽
 【写真上】の電柱の辺りに、小さな坪木堂が昭和37〜8年頃まで建っていたが、盗難除けの為本尊は北側に建つ松月寺境内にあるお堂【写真右】に厨子ごと収められた。しかしその後、聖観音は盗失した。そして平成初期、篤信家により新たな聖観音が寄進されたが、またの盗難を危惧し本堂に移された。現在、13番の跡地や松月寺内にも札所順路板など札所の面影はなく、また松月寺でも札所の記憶は無いという。縁起は近くの篤信家の口伝に頼るのみ。電柱左の道は旧道で奥に進むと県道173号に出る。手前の道は右には173号、左に行くと坪ノ内橋を渡り県道172号に出て14番に続く。
         <ときがわ町 玉川地家>


松月寺境内のお堂で、この中に坪木堂に
あった厨子が残されているが
今は朽ち果てている。
【御詠歌】 教文の 三草二木を 植置へて いつも絶えせぬ 法りの花見は
 【写真上】は14番の植木山・花見堂で、法燈を守る堂守が隣りの庫裏におり、いつも綺麗に保たれている。堂は毎年4月の第1土日が祭礼で、3番の皎円寺が来て供養が行われる。道路側の大木に札所順路板が結ばれている。ここは鎌形植木山とはいうが住所に植木山は無いという。昔からの本尊は近くのお宅にあって、堂のは新しい14番の本尊だという。【写真右】は堂右側に建つ庫裏で、入口の唐風屋根は越生町の弘法山から移築したもの。250年以上は経ている正面向拝の龍などの彫刻は当時の職人技を見て取れる。
          <嵐山町 鎌形植木山>


堂守の人や、唐風屋根を運んだ人等は
今やこの札所を知る数少ない
篤信家の人たちである。

都幾山 女人堂