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◆児玉町から美里町、本庄市、神川町などに点在する児玉三十三霊場を紹介しています。 <15番〜21番> |
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【 御詠歌 : 打つ鐘も 心にしみて 永明寺(えいみょうじ)
正観音の 声をきくなり 】 |
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【写真右上】は永明寺で臨済宗の寺院である。境内には本堂を取り巻く竹林があり、竹寺とも呼ばれている。古刹であるが再々の火災により縁起は不明という。
【写真左】は、寺の参道に建つかつての二階建ての養蚕部屋で、100年以上は優に経ている。昭和40年代まで盛んに蚕生産が行われていたという。朽ちているが趣が感じられる。近隣には16番宗清寺、17番光厳寺、12番大興寺などが点在している。 |
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【御詠歌 : はるかなる 見井山(けんせいさん)の いたたきに
光りあまねき み佛の道】 |
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【写真右上】は宗清寺で臨済宗の寺院である。本尊・正観世音は、応安元年に安置したと本体に彫刻されているという。縁起によれば、宗清寺の開基は、白石播磨守宗清と言い、猪俣党弾正の二男と言われている。寺宝は明治六年の電火により焼失したが明治19年に再建され、また明治58年に改修されて今日に至る。
【写真左】は本堂の奥に続く時代を経た庫裏と、右の奥は今の庫裏で木と漆喰のコントラストが目を引く。また寺の東側には17番・光厳寺があり両寺とも高台にある。 |
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【御詠歌 : たちまちに 愁眉ひらかむ おん慈悲の
音威(こえおごそか)に 光り厳しく 】 |
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【写真右上】は17番・光厳寺で曹洞宗の寺院である。縁起によると、古くは臨済宗の寺院であったが、その後、猪俣能登守が亡き父の菩提のため中興開基として今の曹洞宗に改宗された。境内には紫の千鳥草が群生する。
寺院は、16番宗清寺と通りの南側の高台に並び建っている。また、北側が広大に開けているので眺めが良い。東に向かうと国道254号に出て北に向かうと15番永明寺や12番大興寺に続く。【写真左】は境内の各所に咲く芍薬の群生。 |
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【 御詠歌 : わが思い 心の内に白衣きて まもりたまえて 祈るなりけり 】 |
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【写真右上】は18番・諏訪山 釈迦院 光勝寺で真言宗の寺院である。縁起によると、宝亀五年開立という。本尊・白衣観音の背中には宝亀五年の銘があることから古仏であるという。寺は県道31号沿いでそばを関越道が通っている。
【写真左】は、光勝寺の北側にある田んぼと観光用の水車が回っている。また、近年光勝寺の朱印や管理は、県道を北に少し行った勝輪寺で行っている。さらに県道を北上し、新幹線ガードを潜り左に行くと19番の宥勝寺に行く。 |
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【 御詠歌 : のぼり来て 願う心は 御佛の 声かともきく 松に吹く風 】 |
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【写真右上】は19番・西光山 無量寿院 宥勝寺と称して真言宗の寺院で、本尊・不動明王を安置する。縁起によると、開基は建仁年間、児玉党旗頭の建立という。かつての堂宇は北条、上杉の戦いで焼け、嘉永年間の再建という。
【写真左】は、県道31号の栗崎地区から西に進み、案内板に従い、細い参道を進むと見えてくる山門と宥勝寺の大きな標石。また宥勝寺は、関東88ヶ所86番や関東108地蔵17番の札所を兼務する。 |
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【 御詠歌 : けさ見れば つのおり寺の 庭のこけ
さながらるりの 光りなりけり 】 |
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【写真右上】は20番は角折山 普門院 正観寺と称し真言宗の寺院で、開創は不明。寺伝によると、天正年間に北条・瀧川の合戦のとき、本堂庫裏など焼失したが本尊の聖観音だけは守られ、のちに堂、庫裏も再建された。本堂前には藤棚があり、開花時期には大勢の参拝者が訪れるという。
また、難解な数術を解明した印の算額も奉納されており、本庄市の文化財になっている。【写真左】境内には松の大木がそびえ立っている。 |
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【 御詠歌 : 迷う世に 功徳は高し 阿弥陀様 うき世の人を 救う大慈悲 】 |
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【写真右上】は21番・西福寺で、真言宗の寺院である。縁起によると弘長年間、金井筑前守の開基という。宝暦の頃には住職が四国遍路に行けない人たちのために、この地方に新四国八十八ヶ所をつくり、先達として奉仕したという。寺院は北側に関越自動車道、南側に上越新幹線が通っている間に位置する。
【写真左】見上げるように高い山門は遠くからでも目に入り、寺への目印となっている。1階の左右には、あ・うんの像が安置されている。 |
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