◆新潟市から、新発田市や五泉市、阿賀野市などに点在する蒲原観音札所を紹介しています。【15番〜21番】
−蒲原観音霊場は、凡そ270年前に長楽寺の住職により開創された−

 縁起によると、およそ飛鳥時代(690年代)の創建で、寺院名がいろいろ変遷している。初めは瑠璃光山 薬師寺、その後、錦鳳山 薬師寺、この時に聖観世音菩薩が奉納された。
 そして、錦鳳山清源寺、のちに、観音さまの夢のお告げがあり、今の広喜山 長安寺となった。
 寺から西に行くと阿賀野川が流れている。そこに架かる大阿賀橋を渡ると、左に13番・法幢寺、川沿いを右に行くと14番・東陽寺へと続く。
 阿賀野市の国道49号線、みそらの公園前を北に向かい広大な田んぼの中を走り、駒林地区に入ると養広寺が見えてくる。
 縁起によると寺院は、当初真言宗の広岸院と称していたが、1530年代に、20番の華報寺の住職によって、曹洞宗に改宗され蓮華寺となり、1620年代に今の養広寺に改名された。本堂などは雪対策のため、下の方が板ぶきになっている。また本尊・聖観世音は行基菩薩の作とされ、1200年は経っているとされる。
 【写真左】手入れの行き届いた境内と時代を感じさせる山門。
 
 羽越本線 水原駅の東口近くにあり、20番・華報寺住職の開山とされる。山門をくぐると、本堂右側の丸い枠の出入り口が目に入る。
 阿賀野市街地は、かつて水原町という名であった。市内には、瓢湖という白鳥飛来地がある事で有名である。 その市街地には、17番・西福寺のほか、18番・観音堂、32番・大雲寺、33番・長楽寺などが点在している。
 【写真左】 山門と鐘楼が一緒になっている。1階両脇には力士像を安置し、2階は鐘楼となっている。門の端からはきれいな板塀が寺を囲む。
 阿賀野市街地の南、百津地区にあり、かつては北蒲原郡百津村といっていた。ここに多賀浮州神社があり、そのそばに観音堂があるためにこの呼び名がついた。
 観音堂の管理やご朱印も地域で行っている。堂の東側には国道49号線が、西側には羽越本線や国道460号線がそれぞれ走っている。
 【写真左】百津町から少し東に行った境新田という田園地区があり、広い田んぼと向こうには五頭連山が見える。ススキの頃には田んぼも黄金色となり、米の刈入れ時期である。
 鑑洞寺は阿賀野市笹神支所の近くの丘にあり、北側には笹岡城址がある。縁起によると、1670年代、今の静岡県にある少林寺の住職が再建し少林寺の末寺になったがその後衰退していたところ、1780年代に地元から土地の寄進や堂宇の建立などがあり、少林寺の孫弟子住職によって再興された。この辺も米どころ、周辺は笹神米の田んぼが広がっている。【写真左】笹岡城址の入口から奥へは上りとなり、先は城址公園になっている。  鑑洞寺境内からの桜の枝振りが参道を彩る
 五頭連峰の麓、出湯地区にある20番・華報寺(けほうじ)写真右。蒲原観音は国道290号線沿いに多く点在しているが、この寺もその中の一つで、出湯温泉街の一番奥に位置する。
 縁起によると、弘法大師が北陸行脚の際、五頭山を開山し五頭山頂に
五尊を勧請して山麓にこの寺を建立したという。さらに1470年代には曹洞宗に改宗されている。<五尊=不動・観音・阿弥陀・薬師・地蔵を指す>
 【写真左】 華報寺境内右側に併設されている出湯の温泉施設。観光用というよりも、主に地元の人たちが気軽に入浴する場所であるが、一般の人も気軽に利用出来る。また、のんびりと温泉に浸かっていると、地元の人たちの方言も飛び交い旅の風情にも浸れる
 釈尊寺は、阿賀野市内と西側を流れる阿賀野川との中間に位置し、北側には国道49号線、南側には国道460号線が走っている。
 縁起によると昭和初期、勝屋地区にあった普門庵をここに移転し、初代住職の遺言により釈尊寺となったという。本尊の馬頭観音は、三面であるが詳細は不明という。
 【写真左】周辺は一面に田んぼが広がっており見晴らしが良い。巡拝時には遠くからでも寺院の屋根が確認出来る。
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