◆山形地方に点在する 最上三十三観音霊場と御朱印や御姿などを紹介しています。<p3/7> 札所11番〜15番
【写真上】は最上11番・高松観音堂と「大悲閣」の扁額。国道458号の羽州街道沿いに、やはり鳥居と札所案内板が立つ。どの札所でも近くに赤いのぼり幡と白い案内板があるので目印に良い。観音堂は明治五年の再建と云われ、お堂の両側には、所願成就を願う約3mの仁王尊大ワラジが奉納されている。
【写真右】は杉木立に囲まれた参道で、その石段はかなり擦り減っており長い年月に大勢の巡拝者が通った事を物語る。通りを左手に行き次の路地に入ると朱印所となる。農家のようだが光明院の寺院である。













観音堂から見た石段で
下の入口には鳥居が立つ



【写真上】は最上12番・観音堂と長谷山の扁額で本尊・十一面観世音を安置す。堂と朱印所が離れている札所の一つ。長谷の名は奈良長谷寺に関係すると伝わる。お堂から15分ほど山麓の朱印所前は小川が流れ静かな山村にあって水音が心地良い。お堂前面には納札が幾重にも貼られている。開閉扉は各自で。
【写真右】は山深き参道に立つ朱塗りの鳥居でその先5〜6分は上る。途中で道は別れ、一方は長谷堂へ、他方は長谷城址に続く。長谷城は関ケ原以前の1510年代に歴史を遡ると伊達家の文書に残されている。
















上の観音堂に続く参道途中の鳥居



【写真上】は最上13番・三河村観音堂と「大悲殿」の扁額。縁起に寄ると開山は1640年代と云われ、本尊の聖観音像は、最上1番の若松寺と同じ木から作られた由。以来三河村観音は滅多に開帳された事がない秘仏とされている。
【写真右】は、常福寺(左)と観音堂で廊下でつながる。2005年頃迄は堂前の両側に杉の大木があったが切られて境内が明るくなっている。また留守の場合、差し替えが用意されているが、手書き納経の場合、法縁関係の15番・観音寺で墨書きは頂けるが朱印はここで自分で押す。




















左は常福寺で右手が観音堂と線香奉納所



【写真上】は最上14番・岡村観音堂と「岡観音」の扁額。岡という地域名から来ている。こちらも本尊の千手観音は秘仏として安置され、かの行基菩薩が奈良の長谷寺と同じ白檀の木で作ったと云う。更に縁起によれば、721年の創建とされ、ご詠歌は西国7番の岡寺の歌詞とほぼ同じという縁の深さも感じる。
【写真右】は、観音堂入口の鳥居やその奥に建つ仁王門。仁王門と観音堂の間には杉の大木が立ち、よい日影になっている。鳥居は主脚に四脚の補助を付けた形である。朱印は鳥居手前の商店で書いて頂く。



















鳥居の奥に仁王門とのぼり幡が建つ



【写真上】は最上15番・落裳観音堂と「観音寺」の扁額。お堂前の松の木はかなりの年月を経ており、その幹にはあちこちと治療のあとが残る。お堂右手に管理の観音寺があるが、法事などで留守の場合、差し替えが常備されてはいるが、手書き納経では先に自分で朱印を押し、13番の常福寺で墨書きを頂く。
【写真右】は、堂内の奉納額で衣装、髪型など異国情緒に溢れている。観音堂は山形自動車道 寒河江スマートICから北へ約1kmと近い。落裳観音は小野小町と天女の羽衣との由縁も興味深い。

















左右対称画の観音寺奉納額