◆山形地方に点在する 最上三十三観音霊場と御朱印や御姿などを紹介しています。<p5/7> 札所21番〜25番
【写真上】は最上21番・五十沢観音堂と寺名の標札。縁起に寄ると、観音像は慈覚大師作とされる約5cmの聖観音で、加賀・金森家の守護仏をこの地に安置したのが始まりとある。これも秘仏で御前立は約40cmの聖観音木像である。朱印管理の喜覚寺は珍しい浄土真宗の寺院で、当時の金森石見守が京都東本願寺の門弟だった事に起因する。
【写真右】は、国道13号今宿から県道302号を2kmほど入ると沿道に朱印所の喜覚寺がありその先500m進むと朱塗りの鳥居が立ち約208段の石段を上ると観音堂がある。


















山門と朱印所である喜覚寺の標石碑



【写真上】は最上22番・延沢観音堂と「圓通」の扁額。観音堂は平成15年に再建されたもの。正面に蝋燭台、左手に納札板がある。本尊は、約10cmの聖観音像で慈覚大師作とされる。縁起に寄れば、お堂は寛文年間の開創と云われ、諸国巡礼中の篤信家が天女のお告げにより龍護寺境内に観音堂を建立したとある。お堂の前には秋明菊がびっしりと咲いている。
【写真右】は、龍護寺山門と被るように大木が立つ。寺は尾花沢市役所から県道301号を6kmほど進むと札所22番の標石碑が見える。途中には尾花沢温泉などもある。






















通りからは龍護寺山門前の大木が目印となる



【写真上】は最上23番・六沢観音と「大悲閣」の扁額。観音堂は円照寺の左手に建つ。縁起に寄れば大同年間(806年頃)慈覚大師が巡錫の折りこの地のムクの大木で数体の観音像を彫り有縁の地に安置。その一体がここの本尊だと云う。堂の両端に納札板があるが左側の納札板は長年の風雪でほぼ剥がれている。
【写真右】は、境内の一角に建つ安産地蔵堂で他に大小の仏様が奉安されている。六沢観音は22番の延沢観音から県29道を奥に進み常盤トンネルを抜けると直ぐに観世音菩薩の赤い幟が目に止まる。
















円照寺境内の安産地蔵堂



【写真上】は最上24番・上ノ畑観音堂と「宝沢山」の扁額。縁起に寄れば当初、延沢銀山への山道にあったが、廃坑と共に移動したが本尊は度重なる火災により焼け焦げ、今は秘仏。御前立の一尺の聖観音を拝顔とする。周囲の杉林から沢山のカメムシが内陣に迷い込み、障子がザワザワと音がする中での巡拝も旅の一憶に。
【写真右】は、23番から更に県道188号を東に進むと3kmほどで右手に薬師寺山門と観音堂が目に入る。また奥に進めば尾花沢銀山温泉があり、丹生川を挟み木造三,四層建ての旅館にも旅の風情が残る。

















重厚な二階建ての山門で
窓や扉は和紙からガラスになっている。


【写真上】は最上25番・養泉寺と「施無畏」の扁額。縁起に寄れば、大同年間(806〜810年)に慈覚大師がこの地を巡錫中の折り、仏像を彫り村の害虫駆除を祈願したのが尾花沢観音の起こりと云う。
【写真右】は、寺のすぐ北東側には尾花沢小学校がある。西側には国道13号が通り、周辺の最上札所へのアクセスも良い。また境内には彼の松尾芭蕉が元禄2年(1689年)に地元の豪商宅に3泊、養泉寺に7泊しその時を詠んだ句碑「涼し碑」も残る。養泉寺は、丁度芭蕉が訪れる1年前に新築された。

















寺の周辺には田んぼが広がる