◆近畿地方に点在する 西国三十三観音霊場と御朱印や御姿などを紹介しています。<p3/6> 札所12番〜16番
 <本尊:千手観世音>
【写真上】は西国12番・正法寺と「岩間寺」の扁額。西国観音霊場は、通称で呼ばれる寺院が多く、正法寺も山号の岩間山から由来し岩間寺と称する。開基は722年、元正天皇の勅命による建立と云われる。寺の入口は山門は無く、黒光りするあうんの金剛力士像が立つ。
また本堂から右側の不動堂へ続く回廊とその前側には洗心池がある。回廊には灯りに照らされた西国33観音像が安置されている。不動堂は建物は新しいが本尊は国の重文指定である。岩間山を下り県道106号を進めば13番の石山寺も近い。
















【 通称:岩間寺 】


芭蕉の「古池や〜」の起源と
なった洗心池

<本尊:勅封二臂如意輪観世音>
【写真上】は西国13番・石山寺と寺名の扁額。縁起によると749年聖武天皇の勅願により良弁僧正の開基という。本堂は懸け造りだが左手の蓮如堂などがあり、それと気付かない。石山の前の広場は季節毎に多くの盆栽が並び、参拝者の目を楽しませる。境内の奇岩群は天然記念物に指定。うねった奇岩の上側には多宝塔が建つ。
また本堂内には源氏の間が再現され、人形の紫式部が作詩している姿がある。門前には観光会館、石山公園と瀬田川が流れ北側の琵琶湖に注ぐ。




















石山寺の仁王門で屋根の破風が広く
東大門と称す。その先は真っ直ぐな石畳が
続き、右手に本堂への石段がある
<本尊:如意輪観世音>
【写真上】は西国14番・園城寺と「三井寺観音堂」の標札。本堂前には霊場1300年の記念旗や六角形の手水舎が建つ。観音堂の南側は開けているので、琵琶湖や町並みが眼下に一望できる。圓城寺は三井寺とも呼ばれ、天智天皇など三天皇の産湯に使われた井戸(御井)から由来すると云われる。
駐車場前には仁王門が建ちその左手奥に総門と観音堂がある。そのまま右回りに参詣すると仁王門に戻って来る。境内の伽藍は殆どが国や県の重文指定である。本尊の如意輪観音は秘仏で33年毎の開扉である。
















【 通称:三井寺 】


年代を感じる三重塔(左)と一切経堂で
中に経典を収めた八角形のマニ車がある
経堂を右に進むと金堂に続く
<本尊:阿弥陀如来>
【写真上】は西国番外・元慶寺寺名の扁額。縁起によると寺は第65代花山天皇が19才の時に退位・出家し法皇となり、のちに寂れていた西国観音霊場の再建に尽力したとある。皇家との繋がりが深く、寺の創建は桓武天皇の孫の遍昭僧正で、本尊の薬師如来や自身の木像なども残る。
寺は、京都山科区の渋谷街道から民家の並ぶ路地を北に90m程進むと正面に山門がある。境内はこじんまりしており奥の朱印所も狭い。本堂右手からはガラス越しに花山法皇木像や御宸影が拝せる。車では名神高速道の京都東ICより5分と近い。




















竜宮門式の元慶寺の山門で
二層部分には鳥除けの網が張られている

<本尊:十一面観世音>
【写真上】は西国15番・観音寺と「永代月御膳」の奉納扁額。寺は通称・今熊野観音寺と呼ばれ、真言宗泉涌寺の山内の塔頭の一つである。縁起では生涯34度の熊野詣をした後白河上皇の命名と云われ、熊野権現を迎えた事から今熊野観音寺に成ったと云々。
奉納額の「永代月御膳」とは月替わりで、寺に食事の寄進を続けた事で扁額の奉納が許された大店たちの額である。月御膳の奉納額は、他の西国寺院でも結構見られる。北に進めば三十三間堂や智積院があり、南西側には伏見稲荷大社がある。















【 通称:今熊野観音寺 】


境内右手奥の高台に建つ
朱塗りの多宝塔で医聖堂と呼ばれ
医学に貢献した人達を祀る
<本尊:十一面千手千眼観世音>
【写真上】は西国16番・本堂改修中の清水寺と寺名の扁額。縁起によると、開創は778年に坂上田村麻呂が音羽の滝の清水に導かれ、修行中の高僧に出会い帰依し堂宇を建て、十一面千手千眼観音を奉安した事に始まる。また1965年に興福寺の法相宗から北法相宗大本山として独立している。
門前は両側に土産物店等がびっしりと立ち並び、近年、和服の貸衣装が流行り特に海外の旅行客に人気で、そこかしこで着物姿に触れ合う。本堂は2022.2.3に落慶した。

















奥から三重塔、経堂、開山堂。
海外の観光客がかなり多く
着物での参拝者も目立つ