◆近畿地方に点在する 西国三十三観音霊場と御朱印や御姿などを紹介しています。<p4/6> 札所17番〜22番
<本尊:十一面観世音>
【写真上】は西国17番・六波羅蜜寺と寺名の扁額。本堂・弁財天堂や朱印所などは朱塗りだが、軒下周りは彩色されており華やかである。寺の入口には黒光りする十一面観音像が立つ。弁財天は京都 都七福神の一番とある。本堂裏手の宝物館には、重文指定で、有名な空也上人木像が安置されている。
境内はあまり広くないが、平清盛公の、阿古屋塚、丸石を回転させ願いを唱える一願石がある。また敷地内から発掘された数十体もの地蔵の石仏を祀った地蔵尊も安置。また寺から西に進めば鴨川も程近い。






















境内にある「なで牛」で
足や首周りのシワなど妙に写実的

<本尊:六臂如意輪観世音>
【写真上】は西国18番・頂法寺と寺名の扁額。奥が六角堂で併設の左側は礼堂、礼堂正面は丸い唐風屋根である。嵯峨天皇の勅願所であり、花山法皇が来所時西国霊場になったと云う。また親鸞聖人がここに百日籠った事でも知られる。境内には30cm程の石地蔵が数十体、帽子や涎掛けが着けられ並んでいる。六角堂の周囲は華道会館の建物に囲まれており、生け花の大物が展示されている。
休日などは参拝者よりも華道会館の関係者の出入りが大勢目立つ。山門には「頂法寺貫主・池坊専永」の標札が見られる。















西








【 通称:六角堂 】


頂法寺門前の六角通りはす向かい建つ
鐘楼堂で手前側は烏丸通に出る。
ビルの谷間に響く鐘の音…
<本尊:千手観世音>
【写真上】は西国19番・革堂(こうどう)行願寺と御詠歌の扁額。行願寺は1815年に再建されたもので、唐破風や彫り物などが重厚な造りとなっており、屋根下は鳥除けの網が張り巡らされている。堂内上側には永代月御膳を始め数十枚もの奉納額が掲げてあり、信仰の篤さが伺える。本堂左手には鐘楼堂や鎮宅霊付神を祀るお堂がある。
門前の寺町通りはイチョウ並木になっており、北に進めば京都御所も近い。また山門を右に行った下御霊神社も見所の一つとなる。行願寺は、京都・都七福神の寿老人を兼務する。
























【 通称:革 堂 (こうどう) 】


町家に挟まれた山門で境内も狭い。
門前は寺町通りと竹屋町通りのT字交差点

<本尊:十一面千手観世音>
【写真上】は西国20番・善峯寺と寺名の縦型の扁額。寺は徳川五代将軍の生母・桂昌院の尽力により再建されたと云う。
境内と云うより広い山内は、観音堂を始め本坊,書院,開山堂,多宝塔,釈迦堂,奥之院など多くの堂宇を有する。善峯寺は代々宮家が住職を継ぎ、西山宮門跡の格式を伝える。
多宝塔の近くには長い枝を伸ばした松があり、遊龍の松と呼ばれている。観音堂は山門の先の石段を23段ほど上がるが、右手の石垣の反りは、城壁のように見える。その石垣の上には宿院が建つ。






西















門前が狭いので見上げる程の山門で
軒を支える組子が四段もある

<本尊:聖観世音>
【写真上】は西国21番・穴太寺と寺名の扁額。本堂前には総持寺の様に青銅製の石灯籠が立つ。縁起によると開創は705年で文武天皇の勅願により始まったと云う。本堂は1800年代の建立とされ古刹である。本尊の聖観音は秘仏で33年毎に開扉。
境内には1800年頃の多宝塔も山門左手に建つ。山門は1850年代の建立で8脚の仁王門、屋根の両端にはシャチホコを乗せる。この山門や本堂、念仏堂は共に京都府指定の文化財である。また天井から見つかった寝佛(涅槃佛)も堂内に安置され、皆あちこち撫でて参拝する。























境内の円応院南側に広がる庭園で
京都府指定の名勝。拝観は有料

<本尊:千手観世音>
【写真上】は西国22番・総持寺と「補陀洛山」の扁額。本尊は亀の上に立つ千手観世音で有名で毎年4月半ばに開扉される。仁王門下の寺名の石碑も亀の背に乗ったデザインである。また本堂と東側山門にはしめ縄が下がっており、生柿や干し柿も吊るされていて珍しい。
境内の普悲観音堂には思慕の老父母を従えた聖観音像が安置され、ぼけ封じ近畿十楽観音6番の札所である。
本堂手前には開山堂があり、そこでは4/18に「日本包丁道元祖山蔭流」の儀式が行われ、また包丁塚もある。





















重層な楼門式の仁王門。
大型バスも手前の狭い路地を出入りする