◆近畿地方に点在する 西国三十三観音霊場と御朱印や御姿などを紹介しています。<p5/6> 札所23番〜27番
<本尊:十一面千手観世音>
【写真上】は西国23番・勝尾寺と寺名の扁額。本堂は1999年に修復され朱印が映える。本堂前には、おみくじを結ぶロープが張られている。境内へは拝観料を払って入り、出る際は土産物店を通ってから出る。
縁起によると本堂は1603年豊臣秀頼の再建と云う。他にも水を掛ける水掛観音堂、大師堂、開山堂、経堂、薬師堂、閻魔堂、多宝塔など多くの伽藍が山内に点在しており、箕面国定公園の一部にもなっている。また山内のあちこちには、数cmの奉納勝ちダルマが無数に並んでいる。















1996年に修復された奥の仁王門。その手前に
ある古い勅使門は殆ど開かれる事はない

<本尊:十一面観世音>
【写真上】は西国24番・中山寺と「救世閣」の扁額。開基は聖徳太子で創建は推古天皇と云われる。本堂前の石段横にはエスカレータも完備。右手の高台には昭和28年完成の五重塔が建つ。左手高台には高野山の根本大塔と同じ様な大願塔が建つ。山内は石畳の参道で歩き易い。
寺は以前より安産祈願でも有名で、門前にはサラシを売る店多し。江戸末期には中山一位局が腹帯を授与、授かった子は後の明治天皇になった事から天皇勅願所にもなった。寺は真言宗十八本山の一つに数えられる。





















重厚な二層式の仁王門で
両側の柵には奉納ワガジが並ぶ

<本尊:花山法皇坐像>
【写真上】は西国番外・菩提寺と「東光山」の扁額。花山法皇晩年の御自坊と御廟所がある。法皇は西国観音霊場中興の祖と云われ、当時寂れていた観音霊場の再興に尽力した。後に西国巡礼の際にも皆訪れる事から番外札所になったと云々。
また菩提寺の麓には、法皇を慕い京の都より多くの女御たちが参じたが、願いは一度も叶う事は無かったと云われる。鐘楼堂隣りの展望所からは瀬戸内海や小豆島が眺望できる。境内薬師堂の薬師如来は西国49薬師21番となっている。














【 通称:花山院 】


花山院本堂の手前正面にある
花山法皇の御廟所で時代を感じさせる

<本尊:十一面千手観世音>
【写真上】は西国25番・清水寺大講堂と「御嶽山」の扁額。縁起によれば境内の根本中堂の開基は627年、推古天皇の勅願によりインド渡来の僧侶、法道上人と云われる。
上の大講堂は聖武天皇の勅願により道場として建立。今の大講堂は大正末期の再建と云う。その舞台からは淡路島や瀬戸内海が眺望できる。
日本三清水の一つと云われ、京都の清水寺、坂東32番・音羽の清水寺、そしてここ播州の清水寺となっている。また寺は神仏霊場や薬師堂の薬師如来は播州21薬師10番を兼務している。















【 通称:播州清水寺 】


仁王門の再建は1980年だが
朱塗り彩色はその12年後に行われた

<本尊:聖観世音>
【写真上】は西国26番・一乗寺と「大悲閣」の扁額。創建は650年、孝徳天皇病気平癒祈願寺としてインドの渡来僧・法道仙人によるとされる。本堂は金堂とも呼ばれ国の重文指定で、下側は懸崖造りとなっており入山所からは三つ目の石段を上がる時に良く見える。1628年には姫路藩主により再建されている。
本堂下の三重塔は古く、1171年の建立で国宝となる。昭和16年頃には解体修理が行われている。その下に建つ常行堂も古く聖武天皇勅願で建立、明治期に再建され座禅道場として使われる。







西













本堂から真近かに見える三重塔と
周辺の山々。塔は平安後期の建立と云う

<本尊:六臂如意輪観世音>
【写真上】は西国27番・圓教寺と「如意輪観世音菩薩」の扁額。本堂は摩尼殿と呼ばれ、下側は懸崖造りで上り参道から良く見える。幾多の火災により今のは昭和8年の再建と云う。
円教寺は、裏山の書写山(367m)の少し下に建つ。摩尼殿から西に300mほど山道を進むと大講堂等が建ち食堂(じきどう)2階には数多くの仏像が安置されている。更に奥の開山堂は静寂と霊気に包まれる。お堂脇には和泉式部の歌碑が立つ。書写山も西国観音で数少ないロープウェイがある札所である。


















左から常行堂、食堂、大講堂が
コの字形に建ち、全て県の重文指定