◆近畿地方に点在する 西国三十三観音霊場と御朱印や御姿などを紹介しています。<p6/6> 札所28番〜33番
<本尊:聖観世音>
【写真上】は西国28番・成相寺と西国札番ののぼり旗。縁起に寄ると創建は704年、開基は真応上人とされ文武天皇勅願寺として本堂の幕にも菊花門が入る。本堂は京都府の重文指定で2007年には高野山真言宗から独立し橋立真言宗となる。本尊は秘仏だが限定拝観は有るようだ。また左甚五郎作の「真向の龍」が額に飾られている。
船とケーブルカー又はリフトで成相山(569m)中腹の傘松駅に。さらにバスで5,6分の山道を山門前まで、高低差のある狭い道路を飛ばすのでスリル感有り。境内からは天橋立が一望できる。ぼけ封じ観音1番も奉安する。


















2003年再建の五重塔と
手前の洗心池

<本尊:馬頭観世音>
【写真上】は西国29番・松尾寺と「青葉霊山」の扁額。縁起によると、中国渡来の僧・威光上人がこの山中で修行中馬頭観音の霊を感じ庵を建てたのが始まりと云い、元明天皇により本堂が建立されたとある。
ここも何度かの兵火に遭い1730年(享保年間)の再建である。二層式屋根で正面の屋根は唐風で、その下側の彫り物も匠の技を感じる。本堂から右手に建つ薬師堂までのアーチ状の渡り廊下が珍しい。また仁王門と本堂間の参道左手には勅使門と奥に勅使客殿があるがかなり朽ち果てている。

















松尾寺の仁王門だが金剛力士像は
出張中で代りに力士像の絵が置いてある

<本尊:千手千眼観世音>
【写真上】は西国30番・宝厳寺と「巌金山」の扁額。札所がある竹生島は船で渡る。懸け造りの観音堂は修復中。本堂には辨才天を安置し、日本三辨天の一つと云われ大辨天堂と称する。
寺の縁起によると聖武天皇の勅願によりお堂を建て弁財天を安置した事に発する。今の弁天堂は1942年の再建と云う。また本尊の観音様も弁天様も秘仏で60年に一度開扉とされる。
神社南側から岸壁の鳥居に向かって、かわらけを投げそれが鳥居を潜ると縁起良いとされ、投げる参拝者多し。寺は西国の他近畿楽寿観音33番等も兼務する。

























都久夫須麻神社で石段下に茅の輪がある。
社殿左手は観音堂に続く廊下で
船天井の渡り廊下である
<本尊:千手十一面聖観世音>
【写真上】は西国31番・長命寺本堂と御詠歌の扁額で奥に三重塔が建つ。山号は、いきや山と称す。縁起によれば300才以上生きたと伝わる武内宿彌の開基とされ、長寿の由縁から長命寺となったと云々。
本尊は千手十一面聖観音の三尊一体である。観音堂を見上げながら右に石段を上るのは26番の一乗寺と同じ感じを受ける。石段上の山門は珍しい冠木門である。本堂や観音像は重文指定である。また高台の鐘楼堂脇からは、護法権現社拝殿,三佛殿,本堂,三重塔が一望出来る。境内からは琵琶湖が見える。





















長命寺三仏堂で、本堂左手より
渡り廊下で繋がっている。三仏は
釈迦・阿弥陀・薬師を安置する
<本尊:千手千眼観世音>
【写真上】は西国32番・観音正寺と「きぬがさ山」の扁額。本堂や本尊は度重なる兵火や火災により2004年に再建されている。縁起によると聖徳太子が開基とされ 正面の扉は上に開ける蔀(しとみ)戸と呼ばれる古典的なタイプである。
本尊はインドの白檀を使用した丈六座像で、草創1300年記念のうち「お身ぬぐい」という体で膝の一部に触れる事ができる。本堂右手には巡礼功徳石が山積みになっており、間に聖観音や地蔵尊、魚籃観音が奉安されている。また聖観音像の足元から湧き出る水は本堂工事の際に出た霊水と云う。




















観音正寺の入口で左右に金剛力士像が立つ
白い奉納幡は本堂前まで10本以上ある

<本尊:十一面観世音>
【写真上】は西国33番・華厳寺と寺名の扁額。縁起によると創建は798年で豊然上人の開基とされる。本堂は1879年再建で山号の谷汲山は、醍醐天皇から賜ったとされる。
寺は県道40号の山門下のそばに最初の山門が建つ。そこから真っ直ぐに長い参道が続き、両側には桜と紅葉が交互に植えられているのを見ながら仁王門へと続く。また結願寺と云う事もあり、参道には土産物店や朱印の表装を扱う店も並んでいる。また北東側には睡蓮がある事から通称:モネの池と呼ばれている池がある。

大悲殿、現在世を表す 






















本堂の柱にある"精進落としの鯉"で
左右にあり、手を触れて
記念の写真を撮る参拝者多し
 
満願堂で本堂前の左手奥の高台に建つ。三猿のタヌキ版や各種タヌキの置物多し
 
笈摺堂で本堂左手に建つ。堂内には数多くの巡拝者の笈摺が奉納されている
満願堂、過去世を表す 笈摺堂、未来世を表す