◆新潟市から、新発田市や五泉市、阿賀野市などに点在する蒲原観音札所を紹介しています。【29番〜番外霊場】
−蒲原観音霊場は、凡そ270年前に長楽寺の住職により開創された−

 縁起によると、1417年頃、勝屋地区にある天樹寺の住職により開山されたとある。また、本尊千手観音が火災で焼けた時、その観音様を土中に埋め石碑を建てたという。周辺は、田んぼが広がり、その中に岡屋敷という集落があり、その北側の一番奥に寺はある。南東側には月岡温泉郷があり、多くの宿を有するとともに、東側に五頭連峰が南北に横たわり、その中にも温泉郷や蒲原札所が点在している。【写真左】 岡屋敷地区には昔ながらの土壁造りの民家も残されている。
 徳昌寺の口伝によると、かつてこの辺一帯は深い森があり、大きな鷲が多く生息していたことから鷲林山と号した。また寛永年間、20番・華報寺住職をこの地に勧請し、徳昌寺を建立したという。近隣には19番・鑑洞寺や22番・女堂の観音堂が点在している。
【写真左】は寺への参道途中ある「じゅんさい公園」の池で、その池の端に植えられた桜も満開だが、見に来る人はほとんどいないようだ。【写真右】は山門と鐘楼台。
 
 東陽寺は、寛永16年、33番・長楽寺住職による開山といわれる。
 縁起によると、この時の住職は越後の少将:松平忠輝の家臣、小林茂介が仏門に入り修行ののち長楽寺住職となり、のちに大雲寺、東陽寺をそれぞれ開山しているという。
 寺は、羽越本線・神山駅の西側にあり、周りは田んぼが広がっている。
 【写真左】 冬場には飛来した白鳥をあちこちで見ることが出来る。
 天平20年、坂上田村麻呂の臣下で、阿部信行なる者の懇願により行基菩薩に観音像を彫って頂くとある。
 寺は元和四年、33番・長楽寺住職による開山といわれている。
 寺の正面には白鳥飛来地の瓢湖【写真左】が広がっており、冬季にはシベリアから白鳥が多数飛来し、春先までここで羽を休める。
 朝夕は湖にいる白鳥も、昼間は周辺にある田んぼに行き、落穂などをついばむので、湖にはほとんど白鳥はいなくなるほどである。
 この寺の観音さまは、縁起によると五台山の麓に毎夜光を放つ霊木があるという事を聞いて、歓喜しながらその霊木に身の丈約1mの尊像を刻んだのが寺の聖観世音といわれている。
 32番の大雲寺からも程近く瓢湖からも近い。また国道49号線から分かれる国道460号線のそばにある。
 【写真左】長楽寺にある朱塗りの山門。1階の両脇には「あ・うん」の像が安置され、2階は鐘楼である。
 蒲原観音 番外札所の乙宝寺は真言宗の寺院で、天平時代に聖武天皇の勅命により開山したという古刹である。
 縁起によると、当時の住職が紹来した釈尊左眼の御舎利を当寺に収めた事から乙寺(きのとでら)と名付けられ、また、右眼の御舎利は唐土に収め、甲寺(きのえでら)と名付けられた。
 後に五重塔の下から発見され、後白河天皇に献上されたがその後、純金の舎利塔に入れられ返還されたという。以来、寺名が乙宝寺となった。また大日如来は国宝に指定されている。
 乙宝寺は、越後88ヶ所38番や越後33観音26番、越後弘法大師21ヶ所8番などの札所を兼務する。
7番・興泉寺の庫裏で参拝者を出迎えてくれる観音さまの画。

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