◆山形地方に点在する 最上三十三観音霊場と御朱印や御姿などを紹介しています。<p7/7> 札所31番〜33番
【写真上】は石段上に建つ最上31番・富沢観音堂と「観世音」の扁額。左手は鐘楼堂。縁起に寄れば、彼の慈覚大師が863年に東北巡錫のおり、当地の馬の放牧を見て産馬に適すと、ここに札所唯一となる本尊・馬頭観音像を彫り安置した事に始まるとある。
本尊は秘仏で、御前立として馬術の名手と云われた小栗判官作の馬頭観音を祀る。また、今の観音堂は1779年の再建と云う。
寺は番外の天徳寺から車で5〜6分と近い。近隣には最上町赤倉温泉があり、開湯は863年と歴史は古い。前の47号線を東に進むと鳴子温泉に続く。




















光清寺と後ろは明神山612m



【写真上】は最上番外・天徳寺観音堂と「臥龍山」の扁額。一般には位牌堂と呼ばれ堂内は檀信徒の位牌が整然と並んでおり左手奥に彩色された子安観音が祀られている。
寺伝によると1736年頃には世照観音と呼ばれていた。本尊の子安観音は当初月蔵院に祀られていたが廃寺でここ天徳寺に移管されたが、1942年に焼失。その後50cmの子安観音が安置されたが、2008年の最上札所のご開帳に合わせ、30cmの両手に赤子を抱く子安観音が作られ、焼失前の姿を忠実に再現している。また大通りの北羽前街道を東へ5分ほど走ると31番・富沢観音も近い。




















天徳院山門とケヤキの大木



【写真上】は最上32番・太郎田観音堂と札所の標札。縁起によると凡そ1200年前この辺一帯は沼地であったが、今の静岡と広島から移り住んだ者が開墾している時、白鷺が飛び去ったあとに観音像があった事から堂宇を建てた事から始まると云々。太郎田とは、最初に開墾した田畑で二番目は次郎田と伝えられる。
寺は国道13号の新庄から国道47号に進み、若宮地区の公民館の奥側に建つ。国道から正面坂の上に観音堂や、右手に明学院が建つ。気さくな住職が比叡山や喜多院、深大寺等のお話しを聞くのも魅力である。また境内には1849年発願の"小国西国33観音16番"の標札も立つ。


















明学院で一階が寺院と朱印所



【写真上】は最上33番・庭月観音堂と「庭月山」の扁額。本堂前には赤い最上観音と緑の山形十三仏の幡や獅子像が立つ。
縁起によると本尊の聖観音は江戸初期の作品で高さ1.35mの寄木造りである。観音堂の中には沢山の笈ずるや奉納札が納められている。
庭月観音は、新庄市から国道458号を北西に約14kmと遠い。また境内右手の鐘楼堂の鐘は、かつてNHKのゆく年くる年で2年続けて紹介されている。毎年8月18日には月蔵院前を流れる鮭川で、護摩壇やかがり火が焚かれ、仏式では東北随一の規模の灯籠流しが行われる。




















満願で、おかげさまと言って潜る
"おかげさま門"

 
庭月観音で朱印授与の時頂いた"結願打ちどめの証"


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